武振起

築港235 〔武双全(弟)1998年1月4日、定州で聞き取り〕
      〔武双全(弟)1998年4月12日、大阪で聞き取り〕

 ・兄が捕まったときは15、6だった。兄が捕まったときのことは知っている。寨西店の駅で汽車に乗って北京に行こうとするところを捕まった。兄は共産党だとして引っぱられた。近い定県に連れて行かれた。兄が連れて行かれた後、うちの父達は方々から金を借りて近くの漢奸の特務に賄賂をやり何とかして兄を帰らせようとはしたのだが、結局その特務達は金をもらっただけで兄を帰らせないでそのまま連行していった。当時兄は結婚していて、嫁と2、3才の女の子がいた。生活の関係でどうにも仕方なく兄嫁が邯鄲の郊外、武安県の人と結婚した。その女の子はうちに残されて当時にはうちに老人達がいるから、老人達がその子を育ててずっと後ほどどっかへ嫁に行った。兄を取り戻すためにずいぶん借金をしたので、仕方なく父が東北、いわゆる満州の鉄嶺というところへ出稼ぎに行った。そこで死んでしまった。石炭の炭鉱だった。
 ・兄が捕まった後、二番目の兄に母が「もうどうにも仕方がないからおまえも八路軍に参加しろ」と言って、それで兄は遊撃隊に入った。その後も食べるにも困る生活が続き、私は母から「おまえも地方の民兵になれ」と言われ、抗日の組織に民兵として参加した。1951年頃母は亡くなってしまった。
 ・田福録さん(連行者名簿で143番、1945,3/26途中疾病送還)が帰ってきて、「兄が日本でなくなった。」と知らせてくれた。田さんは日本の降伏の前に帰された。その時に兄さんが日本でなくなったという話をしてくれた。田さんの手は機械で切断されていた。