張振林さんと、遺族:孫梅蓮さん

 張振林さんは1944年10月に日本港運業会大阪支部安治川へ連行されました。では、45年4月13日「胸部震盪症」により36歳で亡くなったとされています。
 張振林さんは21年生まれ幼名・明星、お父さんは張金平さん、一人の妹・張小雀さんがいました。死亡診断書の年齢とはかなり開きがあります。張振林さんは40年以前に兵隊に行ったきり,その後何の音信もなく、残された家族は張振林さんが日本に行ったことも知りませんでした。

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 2004年以降、張小雀さんの娘、孫梅蓮さん(41年生まれ)と手紙のやりとりをしています。日本に行く前の様子について次のように話されています。

抗日の部隊の後(クリックで手紙へ)

 また張振林さんの人となりについても教えていただいています。

 「母の張小雀は10年以上前に亡くなっています。母が生前語っていたところによると、伯父は十二支の酉年だったそうですから、生きていれば80何歳かになります。体つきは中くらいの背丈で、色白、二重まぶただったそうです。誠実な人柄で、家では老人を敬っていたということです。母の張小雀は生前、自分の兄の張振林のことをいつも心配していました。そして私に、もし張振林が見つかったなら、我が家に一緒に住まわせて面倒を見るようにと言っていました。それなのに、日本で亡くなっていたなんて、思ってもみないことでした。」
            (04年9月13日の手紙)
死亡診断書 ※「死亡診断書」について
中国人を強制労働させた戦時下統制団体が46年に外務省に提出したもの。
戦争犯罪追及から逃れることを目的にしているため、正直に記載しているかは疑わしい
地図・遺族所在地
 ●遺族の所在地
多くの人にとって連行された人の故郷のまま
 
 
 

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