卓本海さんは1944年8月に藤永田造船所へ連行されました。死亡診断書では、44年12月3日「尿毒症」により31歳で死亡となっています。 卓本海さんは30代はじめで連行されました。子どもはいませんでした。卓本海さんの兄の孫にあたる卓興志さん(1964年生まれ)から手紙を頂いています。 2004年の初めての返信は次の言葉で始まっていました。 「頂いたお手紙はしばらくの間,受取人を探してあちこちに転送されていました。最終的には,県城で仕事をしている遠縁のおじさんが調査をして,あなたがお探しの卓本海の遺族である私を見つけてくれたのです。これはまさに,あなたのお手紙にあるように,まったくのところ,私を驚かせる予想だにしない出来事でした。」 (04年4月3日の手紙) その後卓興志さんは村の古老からの聞き取り調査を始めます。そうして分かった状況は次のようなものです。 中国東北への供出の末(クリックで手紙へ) 卓本海さんのその後の消息は全く不明でした。東北へ行く前の卓本海さんは次のような人だったそうです。 「当時彼は30歳を少し超えていました。背が高く,少しつやのない顔色をしており,温厚な人柄で,性格は内向的でした。家が貧しかったために,まだ妻を娶ってはいませんでした。東北に行く前は,国民党の部隊で兵隊をしていました。その後,家に戻って小さな商いを始めて,飴などのこまごましたものを売っていました。」 (04年4月3日の手紙) ![]() |
![]() 中国人を強制労働させた戦時下統制団体が46年に外務省に提出したもの。 戦争犯罪追及から逃れることを目的にしているため、正直に記載しているかは疑わしい |
![]() ●遺族の所在地 多くの人にとって連行された人の故郷のまま |
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