邵蘭淑さんからの手紙

 当時,私の家はずっと農業をしていました。16ムー(約105アール)の土地を耕し,牛を1頭飼っていました。祖父母と母と私と弟が一緒に暮らしていました。私の父も農民でした。あの年のある日,父は衡水の市(いち)に出かけました。家は衡水から12.5キロほど離れています。ちょうどそのとき,日本軍が若者や丈夫そうな男たちを捕まえていました。父はそのときに捕まえられたのです。このことをどうやって知ったかと言うと,邵玉濱という同じ村の人で,衡水で傀儡兵になっていた人がいるのですが,母はその人を訪ねて行きました。そのとき彼は母に,日本軍はたくさん捕まえているから,金を出した者は助け出してやれると言いました。母はそのとき親戚の人からお金を借りようと思いました。ある親戚の母方のおばあさんの家の人が衡水で商売をしていたので,その人からお金を借りようと,その人のところへ行きました。その人は,金を借りてはいけない,奴はあんたから金を騙し取ろうとしているんだ,捕まえられた人たちはその日の夜のうちに日本へ運ばれているんだと言いました。それではじめて,我が家の者たちは父が連行されてしまったことを知ったのです。
                (04年3月27日の手紙)