宋慶和さんからの手紙

 宋保学が連れ去られた後、宋保学の2人の弟の宋保坤と宋保福は、日本軍が再度拉致にやってくるのを恐れて、1人は姓を楊と改め、もう1人は張と改めて、遠い他郷へ逃げて行きました。2人は日本軍から身を隠し続け、51年になってようやく郷里に戻ってきました。老母は毎日満面を涙でぬらして泣き暮らし、息子が苦難を逃れて無事に戻ってくることを待ち続けていました。宋保学の妻のカク[赤β]桂珍は夫が連れ去られてから、その悲しみがあまりにも深かったために、両目を失明してしまいました。それでもあちこち夫の行方を尋ね回っていました。2年後に、隣村に逃げ戻った陳さんから宋保学が船で日本に送られたという話を聞いて、カク[赤β]桂珍は夫を待ち続ける一縷の望みも絶たれ、絶望の中で死んでいきました。そのとき彼女はわずか25歳でした。
                (06年1月22日の手紙)