宋慶和さんからの手紙

 その人柄は温厚で、言葉遣いも暖かく、気迫に満ちた人でした。25歳のとき、カク[赤β]桂珍を妻に迎えましたが、子供ができませんでしたので、長兄の次男の宋慶林を養子にもらいました。宋慶林は今年67歳です。41年、日本軍は強制的に宋保学を村の村長に祭り上げました。日本占領軍は大量の糧秣の補給を必要としていましたから、各村の村長に圧力を加え続けていました。課せられた量はそのほとんどが達成できず、村長である叔父はいつも日本の憲兵たちから殴られたり罵られしていました。数度の刑罰を受けたこともありました。
 42年の初冬のことです。日本国内の需要により、中国各地から強制的に労工が集められ始めました。村々でこの話に顔色を変えない者はなく、村人たちは次々に身を隠したり逃げ回ったりしていました。ついに強制募集の人数に届きませんでした。そして、各村の村長と伝達員たち合わせて30人余りが無理やり汽車に押し込まれることになりました。
                (06年1月22日の手紙)