葛鳳徳さんと、遺族:葛福成さん

 葛鳳徳さんは1944年4月に富山県の日本港運業会伏木(第2次)へ連行されました。44年8月8日から数カ月間、伏木の内178人が大阪港に配置転換されます。それだけ大阪港での荷役の人手が足りなかったのだと思います。2カ月後10月になると、安治川、川口、築港2次合わせて670人が相継いで大阪港に連行されてきます。葛鳳徳さんは大阪にいる間の11月16日に大阪市立桃山病院で「赤痢」により33歳で亡くなったとされています。彼以外は45年1月頃伏木港に戻ります。
 葛鳳徳さんのお父さんは葛雲和さん1879年生まれで1959年に亡くなっています。葛鳳徳さんは11年生まれ。先の診断書の年齢が一致します。子どもはいませんでした。葛鳳徳さんの弟が葛鳳瑞さん、14年生まれ、72年に亡くなっています。

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 2004年大阪から古い住所で送った手紙に対し、葛鳳瑞さんの子、葛福成さん(46年生まれ)から返事が届きました。

 「伯父は18歳のときに家を出てしまいました。祖母は息子のことを心配し続け,病気になってそのまま起きあがることができなくなりました。それからしばらくして亡くなりました。伯父の葛鳳徳がいなくなってから,家族の者たちは八方手を尽くして彼を捜しましたが,ずっと消息はわからないままでした。伯父と父の葛鳳瑞は血を分けた兄弟です。私は葛鳳徳の実の甥です。伯父の葛鳳徳には中国にも直系の遺族はおりません。中華人民共和国が誕生してからも,家族たちは葛鳳徳を捜し続けましたが,葛鳳徳の身内の者を見つけることもできませんでした。」
              (04年9月1日の手紙)
地図・遺族所在地
 ●遺族の所在地
多くの人にとって連行された人の故郷のまま
 
 
 

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