王桂雲さんの証言

 もともと我が家は、農業と油搾りで生計を立てていました。父が連行されたのち、唯一の労働力を失い、もはや田畑を耕す者も、油作りの仕事のする者もいなくなり、一家はたちどころに路頭に迷うことになったのです。父を取り戻すために、やむなくなけなしの2ムー(=13アールあまり)の土地を手放し、続いて油作りの設備を手放し、そのお金で人づてに父を釈放してもらうように手立てを尽くしました。しかしその甲斐もなく、父を取り戻すことはできなかったのです。母は生きる気力さえ失ってしまいました。祖父は気落ちがひどく、間もなく死んでしまい、2才になった兄も病気を治すお金がなく、しばらくしてこの世を去りました。家には病気がちな祖母と14才になった伯母、それに10才の伯父だけが残されました。年寄りと子供だけの一家でどうして暮らしていけるでしょう?一家は生死の間をさまよい、食物やお金を借りながら、どうにか生きてきたのです。
               (94年9月3日付の証言)