趙清海さんからの手紙

 当時、趙小燕は22歳で、家が大変貧しかったので家族の生活のために、同じ村の張子敬さんと一緒に、陽武県の三光廟まで呉文華さんを訪ねて行きました。そのころ呉文華さんは第六支隊の隊長を務めていました。呉文華さんに会った後、兄は他人の名をかたってそこに落ち着きました。何という名前をかたったのかは知りませんでした。兄は三光廟に15日ほどいた後、陽武県の北関駅から山東省に送られ、その後日本に運ばれました。
 私が幼い頃に父が亡くなりましたので、兄だけが我が家の働き手でした。その兄がいなくなってからは、私と母は乞食をして生きていくしかありませんでした。兄が日本軍に連れ去られたと聞いてから、母はずっと泣き通しでした。生活が苦しい上に毎日泣いてばかりいましたので、母の両目は光を失ってしまいました。
                (06年2月15日の手紙)