白秋水さんの証言

 52年の土地解放のとき、一人あたり1ムーの土地を得た。土地配分で差別を受けたことはないが、労働力がなかったため生活はきわめて貧しかった。
 さつまいもを薄く切って乾したものや、粉にひいて水でねって薄く伸ばして焼いた餅(ビン)などにして主食とした。小麦やとうもろこしもつくったが、小麦は優良な品種もなく反当たりの収獲量もわずかなのであまりつくらなかった。基本的に自給自足でお金はつかわない生活だった。現金収入といえば養鶏、養豚で卵や肉を売りわずかばかりだった。
 白日英は、53年入党した。党の工作隊が村に入ってきて土地改革や旧勢力の一掃をするなかで、日英が優れているので党員として推薦したので、入党が公的に認められた。はじめは村の公安員をしていて、最後は村の副書記をつとめた。ただし党員になったからといて家の経済状態がよくなったわけではなかった。
                (01年4月10日の証言)