白秋水さんの証言

 定州の県城の南は八路軍の支配地域であった。旧暦6月15日村が日本軍に包囲された。漢奸が通報したので抗日幹部のみがつかまった。白同愛は、子供が心配になって家に見にもどったときに捕まった。
 白同愛が日本へ連行されて死んだことは、同じ村出身の范臘月が帰ってきたときわかったことだが、自分はそのことを、60年頃、6〜7歳の頃に、母から聞いて知った。
 白日英には子供が4人いた。長男が秋水。2人の妹。さらに1人弟がいたが、この弟は自分が13歳のときに死んだ。
 実の父・白日英は、15歳くらいから家の中心となって働いていた。自分が1歳の頃に親族会議で白同愛の養子ということになった。それは、同愛の妻に家にいてもらいたいという事情によっている。祖母と同愛の妻に働いてもらわないと一家の生活がなりたたないという経済的事情とともに、その人が自分をかわいがり、精神的な支えになっているという事情があったからである。当時、いっしょに暮らしていた家族は祖母、同愛の妻、白日英夫婦、日英の弟2人だった。
                (01年4月10日の証言)