魏運庫さん・魏運輝さんさんからの手紙

 中国解放のあの年,一番上の伯父の魏永増は天津の港から祖父の骨箱を持って帰ってきました。(日本が降伏した後,中国人労工の骨箱は天津に運ばれてきたのです。祖父は肺炎で死んだと知らされました)。家族はその骨箱を見て,抱き合って泣き叫びました。三番目の叔父の魏増余はそのショックで気が触れてしまいました。その後いろいろな治療をして,なんとか病状は好転しましたが,ついに結婚できないまま,今になっても孤独の身です。
             (04年3月26日連名の手紙)