袁明位さんの証言

 父が日本へ連行されたあと、家には6歳の兄(兄の名前は袁馬といいましたが、既に亡くなっています)と、2歳の私と、母とが残されました。母子3人、まったく生きてゆくすべがありません。わずか13アールの田畑があるだけで、それすら耕しようがないのです。やむをえず母方の祖父を頼っていきましたが、生活は困難を極めました。父が捕まったあと、助け出してもらおうとあちこち人に頼んで、家財も売り払い、莫大な借金もしました。なんとか掻き集めた金が2千元です。それを方順橋村の趙老申に託して、救い出してもらおうとしたのですが、金を払っただけで人は戻っては来ませんでした。父の生きている姿にも会えず、死んだ遺体にさえ会えないのです。父がとっくに日本で亡くなっていたことも、あとになって帰国した同郷の人からようやく聞くことができたのです。
               (98年2月19日付の証言)