袁明位さんの証言

 44年の6月28日、私の父は家の中で捕まえられました。その時父は家で忙しく仕事をしていました。日本鬼子が村に入って来たあと、父はあわてて逃げようとはしませんでした。それでその場で日本兵に捕まえられ、縛り上げられたのです。その時9人の人が同時に捕まり、日本兵によって于家庄の日本軍の拠点に連れて行かれました。道々、拳骨で殴られ足で蹴られました。収監されて2日後に、今度は保定に連れて行かれました。その場所はわかりません。絶えず殴られ、また日本軍と漢奸に叱責され、悪罵を浴びせられました。食事もまともな物ではありません。時には小さなウォトウとわずかな野菜のスープしか食べられませんでした。保定で10数日間収監されたあと、今度は石家庄の強制収容所に送られました。そこに10数日間収監されてから、隊、班、組が編成されました。何隊の何班の何組なのかはわかりません。食事も睡眠もまともではありません。10数人が一つの部屋に押し込められていました。父と同じ班に、同じ村の袁老妙(1956年11月29日に病没)がいました。それから塘沽埠頭に護送されて、汽船に乗せられました。
               (98年2月19日付の証言)