段枌さんからの手紙

 段梅さんは耳が不自由でした。段梅さんの拉致の後、日本軍の「大掃討」により、合わせて47部屋あった大家族の家屋をすべて焼き払われてしまいました。
 段梅さんの妻とともに、そのとき4人の子供が残されました。大きい方から6歳、4歳、2歳で、一番下はまだやっと1歳になったばかりの赤ん坊でした。住むところもなく、食べるものもありませんでした(穀物、衣服、家屋のすべてが焼き払われていました)。そうした生活の中で長男の玉璽は学校にさえ行けませんでしたし、次男がかろうじて学べたのは3年間だけでした。
             (05年1月6日の手紙の要約)