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薬師寺
(垂仁天皇陵--花会式) 2002.4.4
4月の奈良の有名な行事を観光案内のパンフで探していると、薬師寺の花会式があった。友達が、以前奈良に来た時、垂仁天皇陵を見たいと言っていたので尼が辻で電車を降りて、薬師寺まで歩くことにした。
垂仁天皇陵![]()
この辺は垂仁天皇陵のおほりと、はたけや田んぼもあって、西大寺から1駅とは思えないところだった。
道がゆっくり田畑の中をカーブしていた。ガイドブックに、このあたりからの西ノ京の眺望良と書いてあった。遠くに薬師寺の東搭、西搭、金堂が見えた。森(多分、唐招提寺)の上に見えたので、確かに”うらしま太郎”の龍宮城みたいだった。今でも、薬師寺のカラフルな建物が、目立っているから、昔はどんなに、派手だったことか。
この辺りで持ってきたお弁当を食べるところを探した。森でもなく、公園でもなく、古墳の離れ?のようなところがあって、道からも見えなくて、お弁当をひろげた。お弁当を食べていたら、お弁当箱に桜の花びらが、はらはらと入ってきて、ぐっと風情がでた。住宅街に入る手前で、不思議な桜?の木を見つけた。同じ木に、ピンクと白の花がさいているように見えた。(←後日、知り合いの人にこういう木も結構あると教えてもらった)
住宅を抜け、唐招提寺を通り過ぎると、骨董やさんや食堂があった。薬師寺が、もう見えていた。玄奘三蔵院伽藍の横を通り過ぎて、薬師寺に入ったが、どうやら裏のほうから入ったようだった。中門側から入ったほうがよかったような・・。
薬師寺
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って飛鳥浄御原に創建されたのが薬師寺の始めで、その後、持統天皇によってここに完成された。(持統天皇といえば、百人一首の、「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山」の作者)。東僧坊の中に、台座や東搭の水煙のレプリカがあった。台座は、上框にギリシャの葡萄唐草文、中框にインドの福神像、下框に中国の四方四神(東-青龍、南-朱雀、西-白虎、北-玄武)、周囲にペルシャの蓮華文がほられた、国際色豊かなものだそうだ。理解出来ないかなと思ったが、子供に中国の四方四神の説明だけしてあげた。すると、「うんうん自分もこれはよく知っている」と言う。よく聞いてみると、子供の大好きなべイブレード゙にでてくるそうだ。家に帰ってベイブレードのポスターを見てみると、なるほど、青龍、朱雀、白虎、玄武のデザインがあった。文化もいろいろな形で継承されているなあ・・。
再建に使われた資材は、台湾から調達されたらしいが、樹齢の高い木が、かなりの本数使用されたようだ。来年、大講堂が完成するらしく、薬師寺の近くには宮大工さん達の作業所もあるようだった。
宮大工の西岡常一さんの「木のいのち、木のこころ」(草思社)には、感動した。
花会式
薬師如来のまわりには、10種類(梅、椿、牡丹、菊、山吹、藤、桜、桃、ゆり、杜若)の造花が供えられていた。きれいな造花だった。作るのは大変そう。お花が供えられ、薬師如来も幸せそうだった。午後1時になると鐘がなった。お坊さんがでてきて、マイクで花会式の説明をしてくれた。小学生の頃初めて薬師寺に来た時、冗談を言って、面白い話をしてくれたお坊さんのことを、思い出した。今日は、茶道の裏千家のお家元が金堂の前でお茶を点てるようだった。
金堂の正面に、練行衆の下駄がそろえられていて、回廊を回ってやってきた練行衆が、履物を履き替えてから、枠の中をくぐって金堂に向かって行った。
金堂の真ん中にしめ縄があった。薬師寺の再建費用は、信者さんたちのお写経によって集められた部分が多いらしい。この中にお写経が入っているとのこと。お寺にも、しめ縄をつかうんだなあ、と思った。
5日の夜には鬼追いの儀があるらしい。
玄奘三蔵院で、平山郁夫さんの壁画を見た。中央の西方浄土須弥山を本尊とし、高昌故城とバーミヤン石窟の絵を両脇侍とする、絵が仏像の代わりをしているような壁画殿。
薬師寺は大きなお寺だなあ、と感じた。