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平城宮跡 2003.11
(写真をクリックすると、拡大写真と説明がでます)
平城宮跡には、春にはお花見、秋にはバッタ、冬には凧上げ、子供が小さい頃には近鉄電車を見にいったり、以前住んでいたところからは、歩いて行ったこともあった。とても広くて、サッカーしている人、吹奏楽とか楽器の練習をしている人、みんな思い思い好きなことをしていたりする。何回も行ったことがあったので、なんか知っているつもりでいたが、先日ボランティアガイドの人に案内してもらえる機会にめぐまれ、こんなところだったのか、って改めて知ったことが多かった。
平城宮跡の東の端の遺構展示館の近くの無料駐車場に車をとめることが多かったが、資料館のところにも無料駐車場があった。ほかには、朱雀門、東院庭園に無料駐車場があった。(平城宮跡といわれているところは、東西約1.3キロ、南北約1キロほどあり、歩いて散策しようと思うと結構時間もかかる。自転車などもおすすめ)(平城遷都1300年祭の期間は利用できないようだった。2010.4追加))
ボランティアガイドさんから、わかりやすい説明を受けることが出来た。世界文化遺産で特別史跡に指定されている部分の平城宮跡は、都があった時には、限られた人たち、天皇とか貴族とかの位の高い人だけが出入りしていたところらしかった。すごく広いと思ったけど、実際の奈良の都の一部分にしかすぎなかったようだった。それが、京都に都が移ったあと、ずっと大正時代まで水田だったために、遺跡が沢山残っているらしかった。遺構展示室にある、柱の跡などわかりやすかった。京都や他のところは、市街地になったりして遺跡が残っているところは少なくて、この平城宮跡だけが広い部分を残すことが出来たのは、確かにすごいなって思った。昔は田んぼで私有地だったこの土地を、今のような形に残しておくために努力された人たちが、沢山いたことも教えて頂いた。(特に、棚田嘉一郎という人は有名らしかった。朱雀門の近くに、この人の像があった)
奈良に都があったのは、710年からで京都に都が移ったのは794年だと歴史で覚えたけど、実際には、途中、恭仁京や紫香楽宮に移動した時期があったらしい。平城宮跡の主な建物の大極殿跡は2箇所あるらしかった(恭仁京や紫香楽宮に移る前の建物と、戻ってきた後の建物)。都があちこち移っていくときに、建物は解体されて、その都度組み立て直されたものが多かったらしい。(法隆寺の五重の塔とかも、戦争中に解体されて、また後に元に戻された話は聞いたことがあるけど。)次々に新しい資材を使っていかないんだなあ・・・。
平城宮跡の南東の一角は長屋王の住居跡だったそうで、昔の奈良そごうのあった辺りらしい。それは、奈良そごうを建設する時、沢山の木簡が出てきてわかったことらしい。”長屋王の変”なんて、昔歴史で習った気もするが、長屋王に無実の罪がかけられて、一族自害においこまれた話のようだった。
奈良のボランティアガイドさんは、ほんとよくご存知で説明も上手だった。(平城宮跡は、生駒山にしずむ夕日が綺麗ということだった。ただ、事件物騒な事件もおこっているようで、夕方のひとり歩きは危険かも、ということだった)
平城宮跡散策のあと、唐招提寺近くまで行ってみた。唐招提寺の講堂は平城宮の当時の建物が唯一移築されている。
平城宮跡を中心に、お寺や古墳もあるので、またハイキングでもしてみたいなあっと思った・・・・。