USA Olympic Trial 2012

 陸上王国アメリカのオリンピック選考会の見学に行ってきました。
 オリンピックでメダルを獲るよりもアメリカの代表になる方が難しいと言われてきました。最近はジャマイカをはじめ新興勢力の台頭も目立ちますが、
常にアメリカはメダル獲得数でも大きくリードしています。そんな激戦のアメリカの選考会を観る、そして何かを感じたいというのが長年の夢でした。
退職をしフリーの身になった今年はチャンス。今年初めからアメリカ陸連のホームページで日程をチェック。同時にジャマイカのホームページもチェックし
ていました。ジャマイカの短距離のボルト、ブレーク、パウエルの3人の争いも観たかったけど3月末になっても日程の掲載がされずにあきらめました。
 
 過去アメリカへは3回。1993年と1995年にヒューストン大学へカール・ルイスのコーチであるトム・テレツ氏の元へ日本スプリント学会の一員として
研修に行きました。1995年夏にはシアトルへ日米ジュニア文化交流会として日本の選手を引率してアメリカのナショナルコーチの家にホームステイし
ましたが、いずれも団体の中の一員で計画通りの行動でした。
今回は全くの一人。しかも頼みの綱のタブレットのアクセスポイントを設定しないまま行ったためにタブレットの辞書もナビ機能も役に立たず困惑しなが
らの旅になりました。

 とにかく3位以内に入れば即オリンピック代表に決定。入った選手は星条旗の小旗を持って場内をウィニングラン、4位以下はがっくりの天国と地獄。
そんな全米選手権の興奮を伝えたいと思います。但しレースは生で見たい。だから写真はレースの前後しかありません。

会場はオレゴン州 ユージーンにあるオレゴン大学の陸上競技場。ユージーンはトラックタウンとしてアメリカでは有名でジョギング発祥の地でもあります。
また、今でもプレフォンテイン・クラシックという世界大会の開催地としても有名です。最近は世界のトップアスリートがポイントを競うダイヤモンドリーグが
開催されています。
 プレフォンテインはオレゴン大学の陸上選手で1976年のモントリオールオリンピックでは5000mで最後まで積極的にトップ争いを繰り広げラスト50m
で力尽き4位とメダルに届かなかったが積極果敢なレース展開は、アメリカ中に感動と勇気を与えたました。
ちなみにアメリカで長距離で優勝したのは東京オリンピックのミルズ選手だけです。Preはまだ伸び盛りの大学生だったので次回のオリンピックを期待され
ていたのですが翌年交通事故で亡くなりました。 ホテルでのテレビはこのプレフォンテインの特集を毎晩放映していました。

問題のシーン

女子100mの決勝は2レーンのアリソン・フェリックスがスタートで完全に出遅れました。ジーターは得意のスタートで飛び出しそのまま1位でフィニッシュ。
アリソンはフィニッシュ直前で3位に追いつき代表決定かに見えました。しかし発表は同記録ながら3着タモー、4着フェリックスでした。
1着:ジーター 10”92  2着:マジソン 10”96 3着:タモー 11”07
が翌日の発表で、内側からの写真を精査したらともに11”067と1000分の1秒までの同着と訂正がありました。そこから一悶着がありました。
代表は3人。どちらがオリンピック代表になるかで・・・  アナウンサーはラン・オフかコイントスで決めるかだ・・・と冗談っぽく言ったのが日本の
スポーツニュースではコイントスで決める と流れたようです。 結局は翌週にラン・オフで決める になったのですがタモーがそれを棄権しアリソン
が200mとともに代表に決定しました。 2人ともナイキの所属選手。きっとナイキ内の事情があったのだと思います。でもタモーは4×100mの4人目
で選出されました。

左が問題のフィニッシュ写真。翌日のデイリープロからスキャンしました。向こう側がアリソン・フェリックス


サンフランシスコから空路1時間半ユージーンに着きました。選手受付 マスコットのダック。町の中でも野生のオレゴンダックを見ました。 アリソン・フェリックスのポスターがあちこちに。本大会スポンサーはナイキ
過去の名選手  左:メキシコ走幅跳8m90のボブ・ビーモン  中:走高跳で革命的な背面跳びを考案。メキシコ金のリック・フォスベリー  右:シドニー100m金のモーリス・グリーンと無名の私
10種競技で世界新記録が誕生しました。          初日は土砂降りの中 100m:10”21 走幅跳:8m23 砲丸投:14m20 走高跳:2m05 400m:46”?
 
 アシュトン・イートン 9039点!    2日目          110mH:13”70 棒高跳:5m30 円盤投:42m81 やり投:58m87 1500m:4’14”48   日本選手権でも3位以内に5種目入れる。
「4'’16”を切ると世界新」のアナウンスに観客は総立ちの声援  イートンはカメラマンの方ばかりでこちらを向いてくれませんでした 出場選手みんなでキング・オブ・アスリートを祝福。10種ならではの光景
男子100m決勝 :ガトリン:3レーン ゲイ:5レーン :ベイリー:1レーン オリンピックでのメダルが期待されていたディックスは準決で肉離れ アテネで金メダルのガトリンは昨年までドーピング違反で出場停止だった
競技開始前には全員起立して国歌斉唱があった。歌い手は毎日変わる 女子100m決勝 2レーンは3位のフェリックス 4レーンは優勝のジーター フィニッシュ直後、4位という掲示を見てうなだれるアリソン・フェリックス
男子400m。お家芸のこの種目優勝はメリット44”12の好記録。 アテネ大会金メダルのウォリナー2レーンは6着。メリットは北京大会の
金メダリスト
女子400mはサンヤ・リチャードの独壇場 49秒前半の記録は金に最接近
アメリカの砲丸投は見応え充分。22m半ばでホッファ。3位でも22m越し。 走幅跳は前日の予選で7m67しか跳べなかったグッドウィンが8m33で優勝 女子100mHはハーパーが12”73で優勝。
ユージンの空港にはオレゴン大学出身の選手の写真がたくさん飾ら
れていました。中でも大きく目を引くのはプレフォンテインです。

最初にも述べましたが、アメリカで長距離で金メダルは1964年東京
大会の5000mのミルズ選手だけです。

Preは'76年のオリンピックでは4900mまであのラッセ・ビレンと抜きつ
抜かれつのレースをし最後に力尽きてしまいました。
そのレースでの彼の勇気や粘りはアメリカ国民の感動を生み伝説にな
りました。

私もこのニュースは日本にいながら活躍や死を知っていました。
オレゴン大学の前にあるスポーツ店でPreの写真入りのTシャツを買い
ました。
(後記)
写真を3000枚近く撮りました。まだ伝えたいことは山ほどあります。
会場のこと、競技会運営のこと、審判のこと、観客のマナーなど日本
との違い、改めなければならないなぁと思うこともたくさんありました。
またの機会に伝えることができれば・・・と思います。
 
 現地ではT氏にも大変お世話になり、アディダスのバーベキューに参
加することができ、モーリスグリーンとのツーショットも撮れました。

 不安の中の出発でしたが入場チケットも黒人の女性に声をかけられ
80m付近の最高の席の確保もできました。また出会った人達も皆親切
に接してくれました。見知らぬ私にでも「ハウアーユー」と明るく声を掛け
てくれ楽しい日々を過ごすことができました。
 今回頑張ったアメリカの選手団の活躍を8月には再びTVで会える事が
できるのを楽しみにしています。これを機にどんどん外へ出かけ見聞を広
めていきたいと思っています。(武田)