ずーと長い間通っていた(母親)病院(☆が丘厚生年金病院)をこの度変えることにしました。

どうして変える事になったのかと言うと医者が僕自身に診察を受けるようにという事です。

それは多分当たり前の事なのでしょうが当たり前の事が出来ないのがこの病気だといっても過言ではないでしょう。

どういうことかと言うと寝たきりの僕を母親一人でベットから車椅子に移すことは殆ど不可能!母親は車の運転ができない!そうなれば後残っている選択肢は父親に仕事を休んでもらうか母親に代わりに行ってもらって代わりに近況報告してもらうしか無いのです。

父親に仕事を2週間に1度休んでもらうことも出来ないしそうなれば当然母親に代わりに行ってもらうことになります。

そういう事でこの十数年間ずっと母親に通って貰っていたのですが(僕も1年に1度ぐらいは行っていたのですよ)ここに来て急に病院の態度が変わったらしく(新しい介護保険制度の事かな?)「本人が来ないのであれば薬は出せません」なんて言われたらしく「そんな事を言われたも急に決められないので相談してきます」と母親は言って来たらしいのですが次に病院に行った時に「どうしたの!どうして本人連れて来ていないの!(半怒)」と医者に言われたらしく、それを聞いて僕は「どういう事なんや!だって向こうは俺の状態を知ってにんねやろ!おかしいやん急にそんなん」母親は「そんなことを私に言われても私が聞きたいわ」とごもっとも(^^;よく考えれば母親が板挟みで1番可哀想だったのですね(反省)「どっちにしてもしょっちゅう病院に俺が行かなあかんねやったらしゃあないやん病院変えな!」ということで地元の病院に変えることにしました。

病院を地元に変える話は僕が厚生年金病院を退院する話をする時にも出た話なんですがやはり手術を厚生年金病院でしてもらったことや合併症等の心配をするとやはり最初からお世話になっている病院とパイプを切るのは怖かったので今住んでる所からは少し遠いのですが母親に甘えて通ってもらうことにしました。(退院時)
でもそれから問題が起きても例えば血尿が出た時も電話したら「今はベットが開いていないのでこちらでは処置できない」なんて言われたりしました。(人が弱ってる時に強い人たちです)

退院する時は「なんかあったらすぐに連絡頂戴ね」なんて優しい声を掛けてくれたのに・・・確かにそういう社交辞令的なことは世の中にはたくさんあると思うけど病院を退院する時に言うことは社交辞令は無しにしてもらわないと・・・期待してしまうじゃない(涙)病人にとって病院のスタッフの人たちはワラにもすがる思いのワラみたいなものなのだから(^^)

とにかくそういうことで新しい病院を探すにあたってやっぱりここはひとつ役所の福祉課の人に聞くべきではないかと母親に電話してもらうと話はトントン拍子に進んでなんと2週間に1回僕の家に来てくれることになりました。

実はもう2回ほど来てもらったのですが今までと何にも変わらず(薬)しかも母親は枚方くんだりまで往かなくて済むことに成りました。

こんな事なら早くクソ☆が丘止めて今のM病院にすればよかったと悔やんでいる今日このごろです。

それにしても1985年から星が丘に入院1988年退院1999年変院長かったなぁ〜
そしてこれからもまた長くなるのでしょうか?

トップページ   メーンストリート   パソコン環境(電子キーボード)