本物を知れ! 震電編 |
ゲームの中では、スピードがもっとも速く、マーカーミサイルの動きは「自機後方〜ロック位置」という、特徴的な軌跡を描いて撃たれるという、少し癖のある機体と言える震電。
このモデルとなったのは、日本の九州飛行機で開発され、試作まで製作されながら戦場を飛ぶ事は無かった幻の戦闘機「震電」。
これがどんなものであったか、書いていきたいと思う。
第二次世界大戦も終局といえる時期である1944年5月。九州飛行機に海軍より戦闘機開発の依頼があった。目的は「敵重爆撃機の撃墜を主とした、最速陸上戦闘機」。
その「最速」として、海軍が提示した最高速度は、400ノット(時速約740km)。これは、プロペラ機としては信じられない速度。もちろん当時、その速度を出せる機体は存在しない。
そんな条件を実現するべく開発された機体が、震電である。
この震電について、最も特徴的と言えるのが、その外観。前翼型(先尾翼型ともいう)と呼ばれる翼の形状。通常の形は機体後部に水平尾翼が取り付けられているが、震電の場合、その尾翼が前に付いているので、前翼型と考えてもらえればいい。
この形状になった理由としては、それに対するメリットが大きいことによる。
尾翼に対して前翼は、小さいサイズにする事が出来る(何故かは、説明が長くなるので省略)。それによる機体の小型化、軽量化。また、機体後部にプロペラをつけることにより、プロペラの風が翼に当たらないため、空気抵抗が少なくなり、さらに小型化や速度上昇にもつながる。
というか、言い方を変えれば「400ノットを実現するには、前翼型以外に無い」ためであった。
そして急ピッチでの設計・開発が進められ、試作機が完成。1945年の8月に3回のテスト飛行が行われ、その最高速度は、140ノット(時速約260km)を記録した。
その後、全速によるテスト飛行も予定されたていが、その前に終戦を迎える。
敗戦処理として、軍の命令により、震電は機体、設計図面共に焼却された。開発に関わった者達は、目の前で燃やされ消え行くその姿を見ながら、涙を浮かべたという。
だが、1機のみ、1号機は敵軍に没収され、現在はアメリカのスミソニアン航空博物館で眠っているという。
というわけで、こうやって調べていくと、震電は窮地に追い込まれた日本にとって、必要として生まれたものであり、そして敗戦によって消された。大変悲しい運命をたどった機体だった。
また、私個人的には、航空ファンの間では有名でありながら、「1人も人を殺さなかった戦闘機」という存在は、とても興味深いものだった。
参考資料: | 異端の空 写真集 日本の戦闘機 航空機名鑑 |
(文春文庫 刊) (光人社 刊) (光栄 刊) |
そして、ゲームとの関連性について考えてみる。
19XXのストーリーは、「第二次世界大戦が世紀末まで続いている世界」というのが舞台となっている。つまり、敗戦によって消された震電は、ゲームの世界では存在している事になる。
ゲームのストーリーとしては、「3回のテスト飛行の後、開発が中止され眠っていた」。つまり史実通りのストーリーだが、一体なぜ開発が中止されたのか、量産型にまでなっていたのか、400ノットは実現していたのか・・・。
などとロマンを感じてしまうのは、私だけだろうか。
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震電に関する「うわさ」 |
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