卒業から十数年を経て初めて再会した彼は、わたしが学生時代にひとつ屋根の下に共に暮らした友人の夫となり、3人の子供の父となっていた。彼とわたしは同じサークルの仲間として、4年間を友人として過ごした。
彼は、偶然に合コンで知り合ったわたしの同居人と恋に落ち、大恋愛の末、卒業後しばらくして結婚した。
披露宴にはわたしも出席した。市内の豪華なホテルでのそれは、とても華やかなものだった。
学生時代の彼は、当時流行りのハードロックに傾倒して、自分でバンドを組み、長髪に細身のジーパン、いわゆる今時の若者で、中背で顔は大きかったが、世良正則張りの顔立ちが人目を引く男だった。
卒業後わたしは同居人と別れ一人暮らしとなり、彼とも疎遠となり行き来は切れた。彼の妻となった同居人とも年賀状のやり取りだけの関係となった。
彼女が送ってくる家族の写真つきの年賀状には、年を重ねていく彼がいつも写っていた。サラリーマンとなった彼は、昔の面影はなく、背広姿で落ち着いて見えた。
社会人となり、わたしが過ごしてきた同じだけの時間を、彼も別の人生を過ごしてきた。
外見の他に、時間が彼をどんなふうに変えたのか、興味があった。
彼は病んでいた。
躁病。
妻と3人の子供との生活がもう何年も続いているのに、彼には家庭の匂いが全くしなかった。
話すのは、自分のこと、自分のこと、自分のこと。
身体は元気なのに、会社からは休養しろと勧められ、有給休暇がなくなっても病欠扱いで休まされ、本人は毎日繁華街を夜中までうろつく。
面識のないビルの警備員に話しかけ、自分の夢を語り、自作の詩を朗読して聴かせる。
やくざまがいの服装で出歩くと夜の街のカラス族が声をかけてくる、それが鬱陶しいと言い、そう言いながらもうれしそうな彼。
食事の途中で抗欝剤を飲み、店じゅうに響き渡るほどの大声で話す。下ネタでも声のトーンは変わらない。
ギャンブルで信じられないような賭け方をして出来た何百万円もの借金のことが妻にバレ、顔に痣が残るほどに殴られたと、楽しそうに話す男。
携帯電話もクレジットカードも取り上げられ、小学生のお小遣いほどの金額しか持たせてもらえず、自分が誘った食事代の大半を相手に支払わせても、ヘラヘラ笑って、次の約束をしようとする。
時が過ぎ、誰もが同じ場所には留まらず、どこか、大概は想像が付く範囲に、落ち着いていく。
彼はそんな場所を超えたところにいた。
何が幸せなのかは、人それぞれに基準が違うが、彼は幸せなのだろう。
別れ際に握手を求められ、差し出された彼の手は、昔と変わらず、細くて、長い指。
そして冷たかった。