ブライダルプレーヤーの思い出

ブライダルプレーヤーとは結婚披露宴で音楽を演奏する人のことだ。ピアノや弦楽四重奏なんかのときもあるが、なんといっても電子オルガン(よくエレクトーンと言うけれどあれはヤマハの電子オルガンの商品名だ)が圧倒的だと思う。楽器一台と奏者一人で素朴なオカリナの音から華々しい大オーケストラまでこなせる。打楽器やベースなどのリズムセクションもばっちりでカラオケもできる。もちろん、その音はイミテーションではあるが、装置も人間も一つずつでお手軽に披露宴を盛り上げることができるのだ。

電子オルガンを習い初めて、そのブライダルプレーヤーは電子オルガンの先生やちょっとそれように訓練した生徒がアルバイトでやっているのだと知った。私が習った先生もアルバイトでやっていて、私がやってみたいなというと「そのくらい弾けたらできるよ」というのだった。そのくらいというのはどのくらいかというと説明しにくいが実はそれほど上手ではない。いくら幼少の頃ピアノの経験があるといったって、習い初めて2年経っていない頃だ。実は、ブライダルプレーヤーは上手な人ができるというワケではなく、結婚披露宴という大事な場所でいかに堂々と弾けるか、はったりかませるか、場に応じて臨機応変に対処できるかという点が問題なのだ。もちろん上手な方がいいに決まっているけど、下手でも度胸があればなんとかなるというわけだ。

かくして、はったりかませばいけるやろと判断された私は、その先生がアルバイトをもらっている小さい音楽事務所を紹介してもらって何回かその事務所の先生にブライダル用のレッスンを受けた後、住んでいた所から自転車で行ける所にある披露宴会場の仕事をさせてもらえるようになった。

結局、妊娠してやめたので(その事務所の先生が妊娠中も弾き続けて流産した経験があったのだ。両足共演奏に使うので結構腹筋を使うせいかナ)実際には3ヶ月間くらいしかしなかったけど春の結婚式シーズンだったので日曜・祝日はフル活動で日に2回のこともあった。最初3回ほど、ちゃんと進行にあわせて弾けるか、音量や音色、選曲、タイミングなどを事務所の先輩や先生自身が横にいてチェックし、O.Kとみなされれば次からやっと一人で全てを任されるのだった。

はったりかましのプロ(情けない〜!)だった私は監視されているとすごく緊張したけれど、一人になってからはすごくのびのび弾けるようになった。

しかし、監視の目が無いとはいえ、要所要所では緊張した。最初の新郎新婦の入場、お色直し後、キャンドルサービスで再入場の時など司会者が「入場です!」と言った次の一瞬シーンとなった時に音出しをするのはウルトラスーパー緊張状態だ。キャンドルサービスで会場をぐるぐるまわった新郎新婦が前方の巨大キャンドルに点火する瞬間に弾いている曲のサビを上手に合わせるのも盛り上げるのには必須のワザなんである。

その披露宴会場にはカラオケセットを置いていなかったので歌の伴奏も全部やった。前もって曲名を聞いているものも飛び入りのときもあったが、赤本と呼ばれる歌伴(歌の伴奏のこと)用の歌詞と旋律とコードを書いたぶ厚い唄本や、新しい歌なら毎月発売のその名も「歌謡曲」という雑誌で楽譜は大抵はまかなえた。しかし、時にはアルバムの中の1曲で全然楽譜のない聞いたこともない曲を唄おうとする人もいた。それが飛び入りなら誠に申し訳有りませんが......と断るしかない。前もって聞いていたなら仕方なくレンタルCD屋さんで借りて自分で譜面を作るしかない。聴音が大の苦手だった私にはまさに苦行だったけどそんなマイナーな曲でも伴奏できるんだぞと密かな自信と自慢にもなった。

とある有名な宗教団体の教会内結婚ではその団体特有の怪しげな歌詞の歌もあった。それはさすがに先方もそこいらには譜面がないことを承知で、向こうから譜面を提供してくれた。

カラオケは唄う人がつまづいてもおかまいなしに進んでしまうけれど、電子オルガンの伴奏ならその人に併せて弾くことができるので結構喜んでもらえた。

そんなこんなでいろいろな披露宴を見ることができてこちらも楽しかった。
友達がたくさんいる人はやっぱり披露宴もいい雰囲気だし、親戚や親の仕事の関係の人なんかがほとんどを占めるようなものはやはり形式張ってて私はあんまり好きではなかった。司会が友達だと進行が滞りがちでやりにくかったけれどそれなりに楽しかった。
中には16歳の花嫁と18歳の花婿が媒酌人も無しで二人だけで高砂(前方の1段高くなっているところ)に座っているという珍しい披露宴もあった。それは、お客さんも新郎新婦もあまりお行儀がよくなく、どうしてわざわざちゃんとした会場で披露宴なんかするんだろう、その辺の居酒屋さんの2階を借り切ってすれば?みたいな感じで、スタッフとしてはあまり後味のよくない披露宴だった。

私がほとんど素人に毛の生えたようなプレーヤーとも知らずにご丁寧にご祝儀をいただくことも結構あった。記念すべきわたしのデビュー、第1回目のときに1万円も頂いてしまって、ああ、こんな下手くそに申し訳ないなーと思ったものだ。結局、1万円ももらったのはそのときだけでその後は大体5千円だったと記憶している。

最後に、その頃よく弾いたBGMや歌伴の曲をいくつか書いておこう(演歌や昔からある曲、クラシックなどは除く)。今から7年ほど前のことだからその頃結婚した人は懐かしい曲があるかも。

・乾杯(長渕 剛)
・それが大事(大事マンブラザーズ)
・愛は勝つ(KAN)
・抱いて(松田聖子)
・アニバーサリー(松任谷由美)
・瞳がほほえむから(今井美樹)
・パパ(プリンセスプリンセス)
・LOVE IS ALL(椎名 恵)
・ZUTTO(永井真理子)
・SUMMER CANDLES(杏里)
・部屋とYシャツと私(平松愛理)
・You're My Only Shinin' Star(中山美穂)
・未来予想図(Dreams come true)
・未来予想図 II(Dreams come true)
・SAY YES(チャゲ&飛鳥)
・はじまりはいつも雨(ASUKA)
・IF WE HOLD ON TOGETHER(ダイアナ・ロス)
・本気でオンリー・ユー(竹内まりや)
・Piece of my wish(今井美樹)
・あなたを見つめて(小田和正)


(1998.12.12)

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