自己否定から始まる教師修業

森川正彦(法則化中学太子サークル)


TOSSの御輿を担いで教師として生きることを決意した。

TOSSで学んだことは、「我流」を否定すること。
そして(意味のない)プライドを捨てて「子供の事実」「腹の底からの手え」を指針として教師修業に励むことである。

「教師の仕事の素晴らしさ」を本当の意味で教えてくれたのはTOSSである。それは白黒テレビからハイビジョンテレビに変わったくらい、教師としての視野を開いてくれた。

しかし今までの自分を否定するためには非常に勇気がいる。私はそのために貴重な何年間を無駄にしてきた。

恥ずかしい話ではあるが、TOSSを知らなかった自分、知ってはいたが具的な行動を起こさなかった自分について振り返り、ここに文章として綴るととした。

この文を読んでくださった方の中に、私と同じように、TOSSは知っていが、セミナー・サークルに参加することに二の足を踏んでいる先生がいるもしれない。
その先生が、最初の一歩を踏み出すために、この文章が微力でも背中を押力になれば、幸いだと思っている。


1 法則化運動を知るまで

大学時代「軽音楽部」に所属していた。
コンサートを企画・運営するのが楽しかった。
自分では「段取りがよい」「アイディア豊富な」人間だと思っていた。
教室では、いろんなアイディアを出していた。
毎年繰り返される行事や、学校の出来事をいかに「要領よく」消化する「アディア」を見つけるかが一番の関心事であった。

授業でも学級活動でも、特に困ってはいなかった。
「体罰」など教師の不祥事がマスコミをにぎわす中、そつなく3年間(入学から卒業まで)を送ることができればそれで十分だと考えていた。

中学3年生を送り出すその時は、さすがに感傷的になることもあるが、特別感動のドラマがあるわけでなく、なんとなく毎日を過ごしていた。

自分ではまずまずの実践を積み上げていると思っていた。
「清掃指導」や「朝会・終会のやり方」も自分なりに考えてアイディアはっていた。

周りの先生を見ていて「何も指導せず、怒鳴って言うことを聞かせる要領悪いやつ」と思っていた。

研究授業も積極的ではなかったが逃げることはなかった。
組合の教研レポートなども何年かに一回は立候補して書いていた。
うまく理由をつけ、仕事から逃げる同僚を、冷たい目で見ているような教師だった。
「一流」ではないが「中の上」セミプロぐらいの力はあると思っていた。

それまで、自分ではまあまあ本を読んでいると思っていた。
ビジネス書やハウツー物を良く読んでいた。
保護者から文句が出ないように、と考え「マメ」な学級経営を心がけていので時間はいつも足りなかった。
慢性的な時間不足を改善するためにも、整理法や時間管理の本は特によくんでいた。
書店に行くのは大好きだったが「教育書」のコーナーには足は向かなかった。
そうして買った書籍の中に「教育の原理・原則シリーズB授業の知的組みて方/向山洋一著/明治図書」があった。奥付を見ると1994年3月初1998年5版となっている。
法則化運動との出会いは1998年だった。
ただし、法則化運動・TOSSに参加するのはまだまだ先である。


2 法則化運動を知ってから

このころの自分のワープロのファイルを見てみると「百足法則化」という文書ファイルがあった。
毎年体育祭で行われる「学級対抗百足(ムカデ)競争」その指導に何かの「原理・原則を見いだそうとしているらしい。

向山先生の著書の中で、指示の方法一つで生徒の動きががらりと変わることを知った。その理屈も納得できた

このころの自分は、向山先生の指導を自分なりにアレンジして、短時間で最大の効果を上げる指導を手に入れようとしていたようだ。

早い話「いいとこ取り」である。
情けない話であるが、法則化運動が持っている「志(こころざし)」は私の胸には届いていなかった。

ただ「自分の教師としての行為はもっとよくなるはずだ」という向上心は少しはあったのかもしれない。

向山先生の著書をどういういきさつで購入したかは忘れてしまっが、気がついたら本棚の一角を向山洋一名義の書籍が占めるようになっていた。

2000年から「教室ツーウェイ」を定期購読するようになった。
この頃から、家人も法則化の本を読むようになった。

日々熱心に「教師修業」励んでいる先生が日本中にいることを知った。自分のその十分の一でも頑張らなくてはいけないと感じた。

全国に法則化のサークルがあることを知った。
しかし、それは雲の上の存在であると思っていた。

「授業が下手だからサークルで斬ってもらうんだ」という投稿をよく目にした。
しかし、自分からサークルに参加しようとは思わなかった。

多分、今まで自分がしてきた実践を「否定」されるのが怖かったのだろう。知らない人たちの中にに飛び込んでいく度胸もなかった。

しかし、雑誌を読むたびに「教師修業」をやりたいという気持ちはだんだん強くなった。

その時私が考えたのは
「もう少し力がついたらサークルに参加しよう」
「もう少し実践が集まったらホームページも作ってみよう」
ということだった。

「サークルはきっと怖い」と考えた私は、まず自分の学校の職員にレポーを見てもらうことにした。

授業の腕を上げなければならないと考えています
学期に1本レポートを書くことを自分の目標にしました。
つきましては、何か気がつかれたことがありましたらご指導ください。

2000年度は冒頭に上記の文章を書いたレポートを作成して、職員に配布した。
結構自信があったレポートもあったが、特に反応はなかった。
「指示」「発問」を書いた指導案のレポートの中に載せ「いつでも授業を見に来てください」と書いたが、参観してくれる人はいなかった。
ある時は結構「過激」なことを書いた。
生徒を動かすのに「大声で怒鳴る」のは最低の指導である。「これは反発を食うぞ」と思ったが、予想に反して何の反応もなかった。ただ、かなり時間が経ってから酒の席で年配の先生に「嫌み」を言われた。ただし相手は「酔って」いらしたので、話の要点がつかめず、議論にはななかった。


3 ライブに参加

2001年夏、家人に背を押されるようにして、始めて法則化のセミナー参加した。

このとき家人は育休中だったが、秋から復帰することが決まっていた。
家人は勤務校が荒れていると聞き、危機感から藁をもすがる気持ちでセミナーに申し込んだ。

そのセミナーに同行することになった。
初めてのセミナーの印象は「格好いい」だった。
まず初めの「長い挨拶」がない。
しゃべる内容は「端的」で「分かりやすい」
終わりの時間は「ピシッ」と守られる。
それまで参加したいろんな研究会で、うんざりしながらも、仕方ないと思っていた「無駄」が一切無いのは気持ちよく、感動的であった。

セミナーのあとの懇親会にも参加させてもらった。
講師の先生や事務局の先生とお話をさせてもらうなかで、法則化の先生はただ者ではないと感じた。
知的で、なおかつ教育に対する熱い思いを感じた。
自分もサークルに参加しなければ…と強く感じた。

兵庫県のサークルを紹介していただいた。家に帰ってインターネットで連絡先を調べたが、いざ連絡を取る段になって、不安な気持ちが大きくなり、何日かそのままにしてしまった。


4 サークルへの参加

同じ2001年の夏、家人が別のセミナーで井上好文先生、大北修一先生にご一緒させていただいた。
家人は一気にお二人の先生の人柄に魅了され、帰ってくるなりセミナーで学んだことを、一つ一つ教えてくれた。
職場に復帰するのに不安がいっぱいだったのが、一筋の光明を与えてもらったようだった。
また、9月からサークルの例会に参加することを決めてきた。

今まで書きためたレポートの中で結構自信があった物をまとめ、初めての例会に参加した。
そこではサークルの模擬授業・レポート検討のレベルの高さに圧倒された。そして教育に対する先生方の「志(こころざし)」の高さに感動した。

「サークルは怖い」
「サークルに参加するのは別世界の人」
こういったイメージを持っている人がいるかもしれない。

もちろん、サークルでは斬られる。しかしそれは自分にこびりついた「旧文化の垢」が取り去られるときである。
だから、斬られた方が心が軽くなるのだ。

私も家人も、日々のの仕事が忙しく、しんどいときがあっても、サークル例会やセミナーに参加すると、エネルギーをもらったように元気になるの頑張って参加している。
ひさしぶりに参加できたときは、帰りの車の中で
「TOSS度がアップしたね」
「TOSS粗鬆症(トスそしょうしょう)が改善されたね」
といった会話をしている。

これまでの教師生活の中で、こんなに授業のことを真剣に考えたことはなかった。
もし、TOSSの教師として生きることを選ばなければ、授業についてこんなに悩みもしなかっただろう。
しかしこの悩みはストレスにはなっていない。
それは「志」を同じくする多くの仲間が日本中にいるからである。
その中でも、一番身近で、私たちの進むべき道を指し示していてくれているのがサークルの仲間である。

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