安野俊丸和船乗船記
祝30周年 元祖近江八幡和船観光協同組合 様 H19,10,6
 野洲市(当時野洲町)に移り住んで27年、当時から水郷めぐりをされているのは知っていたが、『茶色い水、田んぼの中を船に乗って嬉しい?』と、思い続けていた。
 乗船場付近は、よく自動車で通っているが、いつも沢山の人々で混雑しており、車の運転も注意しなければいけない箇所である。 観光バスが止まっていることも多く、付近を通るたびに『こんなとこ、船に乗って何が楽しいのやろ!!』と、家内とよく話していた。
 そんな、当方達に皮肉にも乗船200万人達成イベントの盛り上げ隊の話が、知人の代役と言う事で舞い込んできた。 当初の話より1週間早くなるとの事で、10月6日出かけてきました。
 乗船場に到着すると、お祝いの横断幕やくす玉が取り付けてあり、イベントの雰囲気が漂っていた。 俊丸にとって、このようなイベントは初めて。 今までは、「それでは、南京玉すだれを披露して戴きます。」で、踊っていたのが、 『なぜ我々二人がいているのか?』から説明し、『乗船200万人突破記念日。』であることから踊りまで、何か一人芝居をしているような感じである。 事前に200万人目の方は、当日乗船券番号が16番の方と知らされていたので、『乗船番号券の数字確認の呼びかけ。』、クス玉下への誘導、大きな声で『おめでとうございます。』 そして、くす玉の下で、理事長さん、200万人目の方、俊丸の三人で、旗からしだれ柳の技を作って、はい、パチリ、パチリと記念写真。 その写真が京都新聞の滋賀版に掲載されました。
 イベント終了後、帰ろうとしたら、『船に乗って帰ってください。』と、声をかけて戴いた。
 この時も『エンジン付きの立派な屋形船に乗ったこともあるし、こんなとこで船に乗ってもなぁー。 1時間もかかるの。 早く帰って衣装脱ぎたいのに。』と、家内兼マネージャー兼運転手と小声で話しあっていた。
 船頭さんが漕ぐ、ちっちゃな田船、バランスがあるのか、そちらのお客さんは右側に座ってと、座る場所まで決められ、いざ出発。『1時間もせんべい座布団に座っているのか。』と、この時もまだ後悔していた。 しばらく、ゆら、ゆらと揺られていると、何か、今まで経験した事の無い、ゆりかごにでも乗っているような、ほんわかとした感覚がこみ上げてきた。
 日頃、電車や自動車、さまざまな騒音・雑音を同時に聞こえる喧騒とした社会で生活してきて、この歳になって初めて田船に乗った事も事実です。 どのように表現したらよいのか解らないのですが、異次元空間に迷い込んだような雰囲気でした。
 おそらく、社会で一番遅い乗り物の田船。 日頃と物を見る視線の違い。 静寂の中で時たま聞こえる鳥のさえづりと、ギィー・ギィーと規則正しく漕がれる艪の音。 その音とこようするかのように船頭さんのハッー・ハッーと聞こえる息声(俊丸が一番船頭さんに近かったから聞こえたのかも?)。
 そして、ここでは時代劇がよく撮影されるとか、水上に渡してあるロープを越えて行きますとか、要所要所での丁寧な説明や、昔の様子(田船に乗って嫁入りした。)等を話される実直な船頭さん。
 これらが、ミックスして、はんなりとしたと言ったら良いのか? 独特の雰囲気をかもし出しているように思います。
 沢山の方々が、元祖近江八幡和船観光協同組合へ来られるのが、解ったように思います。
 乗船前は1時間も退屈やと、思っていたのですが、あそこを曲がれば元の乗船場になりますとの説明があり、『えっ、もう終わり。もう少し乗っていたい。』との思いにかられる俊丸であった。
 下船時、『今度は菜の花の時分に、お弁当でも食べながらのコースに来ますわ。』と、船頭さんに明るく話しかけていた俊丸でした。
 玉すだれを踊っていなかったら、絶対に乗らなかったと思う田船。
 玉すだれは、俊丸にいろんな経験を与えてくれます。バンザーイ。
 船頭さん、元祖近江八幡和船観光協同組合の皆様、ありがとうございました。
京都新聞総合ディスク、元祖近江八幡和船観光協同組合許可済み