スイングガイズオーケストラ プロフィール

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 バンドマスター中野ひろしが指導する音楽教室の卒業生をメンバーとして昭和37年(1962年)に結成した社会人バンド。その後、学生バンドで名を馳せた優秀なプレーヤーが続々参加し、関西一円のジャスファンに喜んでいただける社会人バンドとして精力的に活動しています。大阪キタのライブハウス「ロイヤルホース」、上六の老舗ホテル「シェラトン都ホテル大阪」でのライブ演奏、高石市アプラホールや堺市美原アルテベルホールでの隔月ライブなど、年間数十回を超えるライブ活動をこなすアクティブなバンドです。
 「ジャズを愛する人には入団を拒まない」「若手プレーヤーの育成に努める」という方針のもと、レギュラーメンバーを固定しないのもスイングガイズオーケストラの特徴です。老若男女30人以上のメンバーが常時所属しメンバー同士が競い合い助け合って腕を磨いています。毎週木曜日の練習へのメンバーの参加率が高く、「メンバーが揃わず全体練習できない」なんてことがほとんどない稀有なビッグバンドです。
 また、「ジャズは好きなんだけど楽器を始めたばかりで・・・」という人達を対象に「サウスガイズオーケストラ」という初心者中心のバンドも結成し、毎週火曜日に練習しています。


 中野ひろし プロフィール

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 1935年、貝塚市に生まれる。府立鳳高校在学中、ジャズの魅力にとりつかれミュージシャンを志す。関西大学進学後、吹奏楽部で初めてクラリネットを手にし、軽音楽部に転じアルトサックス奏者として活躍する。1955年、スカウトされて大野平造とレッドウイングに入団。プロの第一歩を記す。その後、当時流行のクールジャズやニューフェイスとして注目を浴び,井上満男とベースメン、末永雅史クインテットを歩き、一時自己のコンボを結成。北の音楽喫茶“リド”“田園”に出演するなど、専らモダンジャズシーンで活躍する。1957年、軽音楽部のマネージャーに選任され、クラブ活動に専念のため、暫くフリーな活動を続けた後、森源一郎とブルームーンに加入。フルバンドのリードアルトを経験する。1959年、当時実力No.1として全盛を誇っていたビッグバンド、浜田元治とブルーセレナーダスに迎えられ、約一年間テレビ、ラジオに活躍し、神田久雄とブルーセレナーダスにリードアルトとして出向する等、フルバンド畑中心の活動を続ける。その後、新稲明とファイブデュークスに加入。デュークオーケストラと転じた後、1962年、楽器店経営のため帰郷。音楽教室を併設して、後進の指導に当たる傍ら、フリーのスタジオミュージシャンとして義則忠夫とキャスバオーケストラ、伊上博とファインメイツに客演する他、スイングガイズオーケストラを結成。以後、50余年にわたって同オーケストラの育成、 発展に尽力している。特筆すべきは、1960年頃より、奈良県立医科大学に進学した友人の依頼で大学祭に出演した事をきっかけに、軽音楽部の設立にもかかわり、コーチに就任して以来60余年、同部を医科系大学有数のビッグバンドに育て上げ、現在も現役コーチとして指導を続けていることである。
 平成元年、関西在住のスタジオミュージシャンを結集して「シャイニーガイズオーケストラ」を結成し、現在サンテレビ・京都テレビなど関西のU局をカバーする番組「平成歌の祭典」のレギュラーバンドとして出演している他、自己のクインテットでも一貫してアットペッパー志向の演奏スタイルで精力的にライブ活動を行っている。