「論文を書く」

「論文を書く」

 「起承転結」。簡単に言えばこれが論文の基本ですね。理系の論文では「緒言」とか「はじめに」から文章が始まり、「実験方法」「装置内容」などの詳細を具体的に書いてから「結果」に入ります。論文は読んだ人が実験や研究を正しくトレース(追跡)できることが求められ、具体的に再現性のある記載が要求されます。そして、さらにこれらの「結果」に基づいた「考察」が著者の解析とこれからの研究の進め方や方向性を含めて書かれます。
 
 そして最後に
「結」ですね。一般的には「まとめ」とか「結論」を書きます。ちなみに、論文の最初に「要約」とか「Abstract」を記載しますが、そこに「まとめ」の一部(まれにそのもの全部)を書く人がいます。しかし、それでは駄目ですね。Abstractには、どんな論文なのか、何を言いたい論文なのか、その方向性や重要性は何か、などを集約して書かねばなりません。多分、論文を執筆する時点では、実験データやほとんどの結果が出ているので、「結果」を最初に書きたいと思いますが、やはり「論理展開」をきちんと整理しながら書きたいものですね。すなわち、興味深い大変重要な結果が得られたのだからこのような趣旨で論文を書くという流れが極めて重要なのです…

 論文では、
「緒言」とか「はじめに」はその論文の玄関なのでちゃんと書きたいです。既に述べたように、「結果」が出ているのでそれを書いてから「緒言」を書くといった研究者がいます。私の経験では有名大学の大先生もそうでした。でも、投稿する雑誌の内容の違いや、学会や出版社の違いや、報告したい内容の違いによって「緒言」の内容や書き方は大きく変わります。そのためには、やはり私は「緒言」をきちんと書きたい(書くべきである)と思います。

 著者が大学院の学生の頃、「論文執筆の神様」のような「伝説の先輩」おりました。先輩は論文の執筆の前に必ず関連した論文を端から端まで読みます。そして、それぞれの論理展開に対して文章の正しい流れを見直して自分の論文の論理展開を行っていました。

 その当時、私たち大学院生の間では論文執筆では
「ロジック」が一番大切であると言われていました。ロジック(logic)は研究社の新英和中辞典によると、「論理」「論法」、あるいは「道理」などと訳されておりますので、本来はlogical(論理的な)とかlogically(論理的に)と言うべきであると思いますが、我々の教室では「ロジック」という単語がよく言われていました。伝説の先輩は、『論文では、正しい「結果」や矛盾の無い「考察」はもちろん重要であるが、文章の流れを論理的に(ロジック:logically)展開することが最も重要だよ』と、よく言われていました。

 この伝説の先輩の家(石川県の白山の近くで非常に寒かったです)で論文の原稿を執筆していると、何度も読み直して最初から通して
ロジックの矛盾のない流れを指導されました。多分、今の著者の文章作成の基礎はそこにあるのでしょうね。しかし、自分自身で何度も読み直して「これで良し」と思って学会などに提出した原稿でもその道の大先生による査読で大きく修正されることが今でも多いです。そういった意味で多くの違う方向から原稿を読みながら正しい「論理展開」をすることが大切であると思っています。

 
「査読」が終わり、印刷される直前の原稿が出来上がると、やっと八合目に到達した気持ちにもなりますが、ケアレスミスの修正も大切ですね。これが結構ばかにならないです。私はケアレスミスが多いので、最後の原稿をきちんと読み直して、正しい表現や記載を確認して、本当の最終稿にしたいものだといつも思っています。

 雑誌に掲載され、論文が公表されればやっと
「完成」です。さぁ、どれだけの反響があるのでしょうか?楽しみですね。

 外部への論文の投稿は、会社や組織の中で固定された見方や考え方からの議論ではなく異なる環境下での意見やその道の大先生からのご指摘もあり、非常に有意義なものです。もちろん、そのような訓練によって、組織内における自分自身の文章の作成能力も大きく向上するはずです。

 論文は「嫌々」ではなく、また「義務」で執筆するものではないでしょう。色々な機関や学会などに頼まれてどうしてもの場合もあるでしょうが、論文の執筆と投稿は楽しんで行いたいですね。

 上記の文章は著者が現役の頃に執筆したものです。

2023年12月15日

 2023年11月1日に日本セラミックス協会のJournal of the Ceramics Society of Japanに掲載された論文です。ケアレスミスもあり6回も査読を受けた後でやっと受理されましたので、ある意味で「難産」の論文かも知れませんね。でも信頼できる共著の仲間と文章の論理展開を議論できたことは非常に良かったと思っています。

戻る