「想定外」と「想定内」 | |
「想定外」と「想定内」 何年か前から(多分、皆さんもご存知のあの起業家の事件からだろうか?)、「想定内」とか「想定外」と言った言葉が頻繁に使われるようになった。私の記憶に新しいところでは、2011年3月11日の午後に発生した東北太平洋大地震の際にも「想定外」の大津波が発生して、また、「想定外」とされる原子力発電所の大事故が起こり、現在も放射能の拡散の恐怖に怯えながら一刻も早く安定した冷温化と放射能の封じ込めが求められている。天災による被害は時間の経過に伴って次第に復旧していくことを明確に感じるが、原子力発電所の事故に対しては、まだまだ、問題が山積みである。 さて、この「想定外」とか「想定内」と言う言葉は、人間が過去の事例や事象、あるいは実験や観察の結果に基づいて、ある意味で勝手に基準を置いて設けた境界線であると思っている。そのときに、かなり正確にこれらの境界線を考えておけば(あるいは過去の事例に対する十分な調査結果を基準としていれば)、今回の地震などの天災に例えると、多くの場合が「想定内」となり、被害も少なく、また原子力発電所の事故も無かったかも知れない。 しかしながら、自分自身の経験として、科学を扱う場合、ほとんどのケースで「ここまでは及ばないと思うが、やはり原理的にはありうるのでは?」と思うことがある。実際にM9.0以上の大地震は地球上では確かに少ないとしても、世界においては前例があった訳であり、またその危険に対しても以前から指摘をしていた科学者もいると聞く。 このような大災害や大事故でなくても、研究開発(R&D)の中で、予算や人員や設備の制約の中で本来のいわゆる最大限の「想定」を設けることができずに枠の狭い範囲での「想定」を設けて仮説を組み立てなければならないことがある。しかし、そうした場合には、実際の課題の実施において十分に目標に到達しないとか、あるいは新たに多くの課題に遭遇するとかで、本来の目的に到達するのが困難になるケースがある。そのときに、多くの場合には「想定外」として目標未達になりかねないと感じる。 原子力発電所の事故においても、予算、政治的理由、人員不足、あるいは企業の利益確保など、多くの要因が交錯して、結果として十分な安全体制が出来ていなかったのかも知れない。今から思えば、平安時代に起こった貞観大地震をよくよく考慮していれば、3月11日の大津波から起こりうる危険に対して危険予知(KY)が可能であったかも知れない。 R&Dにおいても、この「想定」の範囲をどのように考えるかを事前に企画の中で十分に議論して結論を出すことも大切であると感じている。場合によっては、東北地方のある自治体のように「想定」を設けず、危険から逃げて直ぐに安全な高台(場所)に避難して、次の時代に再生することを考える必要もあろう。言い換えれば、非常に難度の高い、もしくは乗り越えるべき課題の多いテーマをやらずに、達成の可能性が高い課題を行うこともありえるし、予備的な課題を行いつつ本題に入っていくことも必要であろう。 課題の成功のためには、「想定」を設ける最初の段階で十分な考察に基づいた議論とコンセンサスが必要であると考える。物事に対して、決してある一面からだけ見るのではなく、多面的に見ながら異分野の専門家の提案やコメントも十分に考慮して当事者として企画をまとめることが大切なのであろうと思う。こうした想定外にならない十分考慮した企画や運営ができる技術者を増やすことがこれから非常に重要なことであると思っている。「想定外」にならないための広く深い議論ができる技術者のために。 東京電力 福島第一原子力発電所の津波による被災とメルトダウンの状況 2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波によって、福島第一発電所は電源を失い、1号機、2号機および3号機は炉心溶融(メルトダウン)を生じ、そして1号機、3号機および4号機はオペレーションフロアで水素爆発が発生した。大気中の放射線(131I)量は急激に増加し減衰していくのに1カ月以上もかかった。「想定外」の状況と言われたが、よくよく調査するとその対策や防災に対する考えの甘さが指摘された。 上記の文章は著者が62歳頃の現役時代に執筆したものです。 2023年8月31日 |
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東京電力 福島第一原子力発電所の津波による被災とメルトダウンの状況 ![]() |
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2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波によって、福島第一発電所は電源を失い1号機、2号機および3号機は炉心溶融(メルトダウン)を生じ、そして1号機、3号機および4号機はオペレーションフロアで水素爆発が発生した。大気中の放射線(131I)量は急激に増加し減衰していくのに1カ月以上もかかった。想定外の状況と言われたが、よくよく調査するとその対策や防災に対する考えの甘さが指摘された。 |
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