「実験ノート」について考えてみました

「実験ノート」について考えてみました

 最近、テレビでも話題となったある出来事をきっかけとして、理科系技術者の「実験ノート」の重要性が話題となりました。この話題の中では、「実験ノート」の記載に対しては、誰もが見ても理解でき、その記載に基づいて再現実験ができないといけないらしいです。そんな訳で、理科系の技術者の端くれとして研究活動を行っている自身についても、毎日書いている「実験ノート」をじっくりと見てみました。

 いやはや、自分の「実験ノート」というのは、その記載内容が大変お粗末なものですね(改めて感じました)。日々の測定や実験を行った結果に対しても、テレビで放映されていたように、そのまま第三者によって「再現できるかな?」と思いました。

 もちろん、日付や時刻や実施した内容の詳細はきちんと記載している(つもり)なのですが、文章中にかなりの頻度で略語があったり、次の展開やステージの変更などに対しても矢印や記号などで記載されていたり、あるいは、実施した事項や測定結果に対しての目的や背景や考察などが記載されていなかったりして、つくづく自分でしか理解できない内容だなと思いました。おそらく、多かれ少なかれ、同じような仕事をしている方々も似たような状況ではないでしょうか(自分自身を基準として勝手に言ってしまってごめんなさい)?

 そんな訳で、ある程度の期間でまとめる(例えば技術報告書を書く)ときになると、「あれはこうだったとか、あのときの考え方は・・・だったとか」、結構思い出して補足する部分も多々あります。多分、大局的には間違った報告にはならないのですが、やはり、日々のリクエストや定型の作業や雑用(本当はそうでないかも知れませんが)に流されてしまっている自分自身をつくづく感じます。

 よく再現実験と言われますが、普通の企業では(多分、行政機関の研究所でも同じだと思うのですが)、同じ作業(いわゆるルーチン作業というもの)を行うためには、例えば、作業標準書とかマニュアルというものがあって、そこに、「この器具を使用する」とか、あるいは「温度をどれくらいで保持するとか」、いわゆる、「急所」というものが書かれており、それに基づいて同じ作業を正確にまた効率よくできることになるのだと思います。だから第三者が誰でも実施できるということになるのですが、少なくともこのことは日本の「物作り」の基本であると思っております。

 だから、本来は、実験ノートもこうしたマニュアル化をしていけば良いとは思いますが、やはり、毎日の決められた作業と不定作業を組み合わせて納期に間に合わせるように仕事をしていくと、こうした時間は無いものですね(何となく流されてしまいます)。でも、自分では、その作業や研究を一番深く理解しているはずですから、最低限、第三者に訪ねられたら間違うことのないように説明できる「実験ノート」になるように心がけたいと何時も思っております。

 よく、報告書の提出が遅いとか、あるいはその内容が希薄とか言われる場面を目にしますが、多分、日頃のこうした「実験ノート」に対する心がけなども文章能力向上に対しては重要なものなのでしょうね。私は、「実験ノート」は、最低限として、第三者に自信を持って説明できる程度の内容できちんと書くこと、だと思っております。もちろん、お客さん相手の仕事では、公的な実施記録としての意味合いもあるので、さらに義務的な面もあるかとは思いますが、科学研究者としての責任は果たしたいですね。そして、再現実験のための記載には、きちんとした作業標準書を提出することが重要なのでしょうね。そうした意味でも、テレビで話題となった「再現実験」はできるのかな?とも思ってしまいます。

 「実験ノート」は、ある意味では測定や実験の記録でありますが、しかし、それは、研究者の誇りと自身がより大きくなるための修行の場だと私は思っております。

 
*本文は、著者が現役時代(2015年頃)に執筆した原稿に加筆修正を行った文章です。

 2023年7月10日


実験ノートのある記録
実験ノートのある記録
2017年2月14日の記録
 著者の英語力が低いので実験ノートは全て英語での記載を心掛けた。測定や分析の記録だけでなく、仮説や次回の進め方など創造的に記載するようにしたが、やはり第三者からは理解しにくいものと思われます。
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