狐も烏には勝てなかったらしい。 伏見稲荷は色んな道があってどこも鳥居だらけなので、正真正銘狐に摘まれたようになり迷うと収集がつかなくなる。 で、部活動の日なのに狐に摘まれた部員二人は集合時刻を大幅に遅れて駅にたどり着くまで音信不通になったのでした。
絵描き魂っ! 狐の絵馬にこんな事をするとは、考えたなぁ。ちなみにこれも狐に摘まれながら撮影した写真。 伏見稲荷は絵馬の他にもやたらと種類の多い御神籤など、面白いものがたくさんあります。
願い 梅撮影に行ったのに、あまり梅撮らずにこういうのばかり。でも人はあまり見かけないのに絵馬だけはたくさん掛かっていてなんとなく。 願いは人の数だけあります。いや、人によっては絵馬に書き切れないほど沢山の願いがあるかもw でもあの絵馬の書くスペースの小ささは、欲は少なくしなさいと言っているように思えます。 そして絵馬が沢山掛かっている様子は、人にはそれぞれ人の願いがあって、自分の願いもその一つでしかないと、そう言っているように思います。 神社というのは、無言の内に色々なことを諭してくれる場所だと思います。
一応境内です。大きな神社の中には自然のままの林が、素晴らしい環境が残されています。 しかしそれって、自然を大切にする思想が神社の中だけに残されて、社会で実践されてないって事でもあるんじゃ。 ここには白鳥が留まっていました。よほど居心地がよかったのでしょうか。 やっぱり、神社だからかな?
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