マキノ・仲仙寺山
2023年2月05日(日)
京都7:24=8:40マキノ9:08=(湖国バス220円)=9:21山中9:24-
9:35常栄寺9:40-10:05鞆結神社10:11-10:20浦登山口-11:28子安地蔵堂-
12:00仲仙寺あずま屋(昼食)12:30-仲仙寺-12:50仲仙寺山13:09-
13:37林道―14:19上開田薬師堂-15:35 JRマキノ駅
マキノ山中でバスを降りて
北に歩く、道が途切れて雪の中
を迷ったが、山中の一番奥に湖西随一
と言われる常栄寺の山門を見上げた。

常栄寺は1605(慶長10)年に
広洲登旭和尚が曹洞宗の寺として
開基した。
山門は二階造りの 楼門 で、入口の
左右に色鮮やかに彩色された
金剛力士像がある。
その規模は正面の柱間の数と、
そこに開かれる戸口の数によって
決まるが、五間三戸(ごけんさんこ)
である。
鐘楼も見事、梁の彫刻も優れている。
住職らしき人が雪掻きをしている。
知内川に沿って南へ歩く。
白銀の世界に車道だけ除雪されて
黒い線になっている。
雪で重くなった防鹿柵の扉を
明けて、知内川をわたる。

赤い鳥居をくぐって参道を歩くと
右手に大荒比古鞆結神社
(おおあらひこじんじゃ・ともゆいじんじゃ)
があり、太鼓の釣ってある拝殿で休息した。
鞆結神社は、仲哀天皇が越前国角鹿へ
行幸のおり、御親二柱を道中の行宮に
斎祭したものだそうで、神代の時代から
あったようだ。
「浦」の村落を出ると道は
雪に埋もれた。
これから雪との闘い。急斜面を
必死に這い上がる。
やっと地蔵堂にたどり着く。
2つの石灯籠の間の斜面は、
確か石段だったはずだが
雪に埋まっている。

登ったところに仲仙寺の
東屋があり、狭いところに
身を寄せ合って昼食。
仲仙寺は大きな寺だったそうだが、
今は廃寺になって、鉄パイプで
支えらてかろうじて崩壊から
守られている観音堂だけが
残っている。
仲仙寺は古くは仲善寺と呼ばれ、
858(天安2)年 藤原冬嗣の息子の
良和と、平城天皇の皇子の真如法師が
この地に来て、千手観音像を祀り
仲善寺」と号したそうだ。

仲仙寺の背後の山に
雪をかき分け
よじ登って稜線に乗った。
1つピークを越えて
次のピークに来て、
この辺りに三角点が
あるはずだと探す。
雪に埋もれているのか
三角点は見つからなかったが、
標高388.5mの
仲仙寺山はこの辺りと思われる。

ここでワカンを装着した。
西に向かって雪を踏んで下りていく。
下りは快適だ、突き当りを
左へ下りる。
予定よりも遅れたので、
林道におりて、上開田の村落に
エスケープする。
そこには称念寺(浄土宗)に属する
薬師堂と阿弥陀堂が東西に並んでいる。

立派な薬師堂には国重要文化財の
木像薬師如来立像を安置しているそうだ。
その下に坂本神社がある。
坂本神社の奥にフェンスに囲まれた
浄水場の建物があったのを
記憶しているが、あとでネットで
「泉の郷 アカヤ」があるのを知る。
アカヤは閼伽、仏教において仏前などに
供養される水のこと、
弘法大師が杖を突いたら水が
湧き出てきたとの言い伝えが
あるそうだ。

知内川に沿って
JRマキノを
目指して歩く。
メタセコイア
並木があった。
本家のマキノ町
メタセコイア並木
にとても及ばないが、
いい感じの防風林
である。