観察会・如意越え
                             2020年11月29日(日)


四条河原=(市バス)=真如堂前−浪切不動尊9:15−9:32楼門の滝−
9:46俊寛碑−10:13四辻10:16−10:37雨社10:55−11:14おねがい観音
11:18−11:53送電線下―11:57見晴台Ca396 昼食12:43−
12:50取付道分岐−13:06鉄塔−13:12 P408 −13:20大津市指定長等山−
13:38長等山テラス354m13:49−13:56児石14:00−14:10坊越峠14:16−
14:43如意越起点(解散)

快晴の朝、真如堂前でバスを降りる。
歩道橋の角を東に歩く。
哲学に道を横切ってしばらく行くと霊鑑寺の
辻に出る。
この北にある弥勒寺が
如意越えの起点になっていて、
霊鑑寺からは如意越えの道に
入ることになる。

坂道を喘ぎ登って集合場所の
浪切不動尊にたどり着いた。

集合時間9:00 気温11℃ 湿度59%。
自然保護委員長から挨拶があり、
コロナが流行している中での観察会のため
5つの注意事項が提示された。

1 朝の検温とその報告(37℃以上は
ご遠慮していただく)。
2 マスク着用の厳守、
3 各自がアルコールなどの消毒薬を持参する。
4 山道でのメンバー間は2mあける。
5 おしゃべりは必要なこと以外は
できるだけしない(昼食時は特に注意)。

今日のコースを案内して下さるOh! 讃山会の
岡田、田中、楠山さんが紹介された。
岡本さんから「私達は4年前から三井寺から
鹿ケ谷への古道の復活に取り組んでいる。
新しい林道は遺跡を外すようにした。」
との説明があった。
また自然保護委員会の講師から
集合場所の浪切不動尊についての
説明があった。

弘法大師が「遣唐使」に随行して唐に渡った時、
船が嵐に襲われた。
自分が彫った「不動明王」を掲げて
「不動真言」を唱えると、大きな波が
剣で切り分けられたように別れ、
無事に日本までたどり着くことができた。

そのことから「空海」の彫った「不動明王」を
「浪切不動明王」と言うそうです。

その「浪切不動明王」は高野山の「南院」に
ご本尊として、今も祀られている。

これから歩く「如意越えの道」は、昔、
如意寺があったことに因み、如意寺は
三井寺の別院で円珍(814-891)の開基による。
ご本尊の如意輪観音は現在、霊鑑寺に
安置されている。

霊鑑寺は、霊験あらたかな鏡の意味で、
皇女後水尾天皇の皇女が創建した尼寺。
本堂は11代将軍徳川家斉が寄進したもの。
ツバキの花が咲く頃に公開している。

そのあと参加者60名を4班に分け、
各班は5分の間隔を空けて出発した。



山道を登っていく。
山はホルンフェルス層に
がっちり支えられている。
谷側は倒木で埋まっている。

「楼門の滝」に着いた。
堅い岩から滔々と流れ落ちる滝をみあげた。
高さ約10mのこの滝は如意寺の楼門から
その名が付いた。

楼門滝の傍にある巨大な石は人面に見える。
五角形の岩は目・鼻・口が彫り込まれた
武将の怨念の顔のように見える。



石の急な階段は迂回路を登り、
標高312mの
地点には、「俊寛僧都忠誠之所」
の石碑がある。
後白河法皇・俊寛(1143〜79)らが
平清盛一族打倒の陰謀を鹿ヶ谷で
行なったとされる。
石碑のある所が如意寺の
楼門があったところで、
楼門の滝は那智の滝になぞらえて
創建されたと言われている。

山道の左側から桜谷川にむかって
張り出している土塁跡があり、この先の
平坦なところが熊野三所跡である。

道を遮るように構える大きな露岩を
左に回り込んで進んだが、右に東へ進むと
寶厳院(ほうげんいん)跡があるそうだ。



桜谷川は源頭に近づいてきて湧水がある。
さらに登ると京都一周トレイルと交差する
四辻で登山客でにぎわっている。

四辻から東へ行くと立派な林道が現れた。

南の谷側は倒木がすごい。
その奥に深善寺跡があるそうだ。
ヒノキとスギの林の尾根道を過ぎると、
「池ノ谷地蔵―毘沙門堂」と
「大文字山―如意ヶ嶽」の交差点に来て、
下の方に雨社の祠が見えた。



ここでOh! 讃山会の岡田氏から
説明があった。
元禄16年まで旧如意寺の
境内として社があった。
社には赤龍社跡と伝わる大きな
池があり、江戸時代以降は龍神
として祀られ、
雨乞いで知られた。

今は「水神」の囲いの中に
1m四方ほどの水源がみえる。
岡崎神社の摂社になり、樵が
誤って神社に木を倒して、新しく
建て替えられた。

ここを降りていくと池ノ谷地蔵がある。
かって如意寺にあった石造りの
地蔵尊がまつられているそうだ。
現在比叡山系の尼寺になっている。

ここから尾根道と巻き道に分かれるが、
巻き道を行く。
道は荒れて倒木をまたぎながら進む。



藪の中に礎石が点在している。
この辺りが如意寺の本堂跡だそうだ。

奥に「おねがい観音菩薩」石仏があった。
倒木で荒れた地にこの石仏だけが無傷で
残っている。

林道出合で三叉路になった。
南へ迂回する。
そこに大きなアカガシが2本立っていた。
アカガシの葉は葉柄が長いのが特徴で
鋸歯がない。
葉が大きいので落葉が積もると
表土が流れにくい。
ドングリに袴がある。

アカガシの近くによく見かける
ツクバネガシは葉柄が短い。

しばらく林道を歩くと、頭上を送電線が
渡っている。
「この送電線を見落としたら藤尾に行って
しまいます。」と岡本さんは注意した。

そこから土手を登ると、道標があり。
古道に入った。
すぐ先に広場がありここで昼食になった。

展望が開け、音羽山が正面に横たわる。
気温12℃、昼になっても寒い。
昼食後、集合写真を撮って出発。

施設林道への取付道分岐をまっすぐに
古道を進む。
地権者の合意がないと道標が立てられない
そうで、道が分かりにくい所もある。



室町時代の灰山城遺跡には土塁址や池のような
遺構があるが、説明を聞かないと城跡
とは分からない。
この辺りは水が出ないため、城といっても
見張り場ていどの物だったらしい。

灰山庭園跡に着いた。
岩が並んだ異様な感じがしたが、
比叡山を借景とした如意寺の山岳庭園だった。
庭園の巨石には穴があるので、運んだもの
のよう、奥の2つの岩は穴がないので
自然の岩か。
その岩から下を覗くと絶壁で、
下から見上げられたら巨岩の大きさが
分かるだろう。

付近は石灰岩、スカルン鉱物(カルシュウムを
主成分とするケイ酸塩を含む)の産地と
して知られている。

大文字山と如意ケ岳を結ぶ線の北側は
花崗岩、南側は中生層であって、
花崗岩の貫入により、熱変成作用を受け、
主としてホルンフェルスと珪岩が形成
されている。

石灰岩は結晶質で、その一部はスカルン化
している。
なお如意ケ岳岡崎山のスカルン鉱物は
取り尽くされ、京都府のレッドデータブック
に消滅寸前と記載されている。

鉄塔に降りた。
京都府と滋賀県の府県境になっている。
鉄塔が京都府にあるのは三井寺が鉄塔を
立てさせなかったためとか。

歩きやすい道になりルンルン気分。
関電の巡視路にある火の用心の標識に
タバコの煙のマークがあるのは、
通り抜け出来ますの意味。

P408は峠になっていて一部国有林。

大津市の指定する長等山山頂に着いた。
小さな赤い杭があるのみ。



国土地理院の長等山三角点は別にある。

こんど着いた山は長等山標高354m。
長等山テラスという人もいる。
長等山と言うのは山の総称で特定の
峰ではないようだ。
古道から少し離れた所にあるが、
展望が開け、琵琶湖が良く見える。
予定より早く着いたためゆっくり景色
を満喫した。

南へ急坂を下りていくと、
アカガシの巨木を見つけた。
傍にはツクバネガシ。



児石(ちごいし)という石の地蔵さんがある。
江戸時代に造られたものらしく、道中の
安全を祈願したもののよう。
ちょうど三井寺の修行行者の道になっている。
風化して砂のようになった道を行く。
近くに「砂山」というソロバン石の採掘場が
あったそうだ。

ソロバン石はソロバンの玉のような形を
した水晶のこと。

坊越峠に着いた。
遅れた後続を待って、三井寺に
降りていく。



急坂を降り、堰堤を迂回した。
道端に白い実をつけたイズセンリョウ
があった。
伊豆半島の伊豆神社に多く、
赤い実のセンリョウに似ている。
シカが食べないためこの辺りに
多いそうだ。

ここが行者堂にあたる。
「神變大菩薩」の石碑は
役の小角の諡号(しごう)
という。
三井寺は修験者の寺だった。
如意越起点に着き、ここで
解散になった。































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