プロフィール

 
心のバイブル
感性論哲学 (芳村志風先生)

座右の銘
念ずれば花開く (坂村真民先生)

昭和35年10月11日澤町に難産の末、逆児で産まれる
幼少の頃より、父親に連れら各地区のだんじり祭りを見に行く 、この頃より少年期は地元澤町で、綱先を曳くのが自慢で、曳行コースは、今では行く事の出来ない、土塔から土師まで曳き、泉南牛乳でコーヒー牛乳を貰って飲むのが楽しみでした。
それと祭りの時、地車小屋の隣のたかやん(よろず屋)の関東炊きが好きであった。
だんじり祭りオフシーズンでも、だんじり小屋の板の割れた隙間から、だんじりを眺めていました。
この頃の鳴り物は今と違い小太鼓と大太鼓だけで、掛け声は(ソラヨイヨイヨイ・ソラヨイトマカセイ)や(ヨイトサ・ヨイヤサ・ドッコイサ)等で、走る前やしゃくる前等力を入れる前には(ヨイヤ~マッカ~ドコジャイナ・ヨ~イヤセ~)と言っていました。
昭和48年中学一年の時、父親の友人(土生の染工場の社長)より笛と岸和田の鳴り物のカセットテープを貰う。
この時より、他所(岸和田)の鳴り物であった物が、自分の物となり、澤町の鳴り物も変わり、曳行も変わって行った。
(今になって、これが良かったのか、悪かったのか自問自答)
同時期、友人数名で四天王寺のだんじりやで、鉦(チキチン)と撞木を買うが、後に同じ鉦(チキチン)(葬式用)が、会館の押入れから出てくる。
なんや、あったんや!(笑)
またオフシーズンに、友人宅にて鳴り物の練習し近所から苦情殺到!
この時期は、深井では澤町だけの曳行でした。
この頃の私が描いていた将来の深井だんじり祭りの理想より、現実の方が、はるかに超えてくれました。
高校は私学でしたので、交友関係が広がり南河内・泉州各地区の情報が貰えました。(当時地下足袋は、富田林の友人「谷山靴店」より購入)
昭和58年天野工務店にて地車を発注する。(新調地車購入委員会に属する)
新調の年、彫り物が上がってきたので、自治会で天野工務店に彫り物見学に行くが、どうも鬼熊が思った出来では無く、その夜棟梁にクレームを付けに友人数名と天野工務店に行く、帰りは夜遅くなり、タクシーひらうまで、旧26号線をとぼとぼ歩きました。
結局、木下賢治氏に彫り直して頂きました。
 
昭和60年 地車新調 
澤町青年団副団長就任
新調入魂式の宮入の折、伝統のしゃくり試みるが、重くて上がらずあえなく断念、これより現状の宮入形態と成る。
新調当時より4・5年位迄はマイクを付けて、夜は唄ってました。
(地車新調と共に、新調地車購入委員会から地車保存会へと変わる)
昭和61年 澤町青年団 団長就任
平成10年 澤町拾伍人組副頭就任
平成10年 澤町子供会副会長就任
平成11年 澤町拾伍人組々頭就任
平成11年 澤町新地車格納庫建設委員就任
新設にあたり、深井各町と家原寺の地車格納庫を見学させて頂きました。
個人的には、息子を連れて、岸和田旧市、春木地区等地車格納庫の写真撮影に周りました。
平成11・12年東深井小学校PTA会長就任平成11年PTA会長就任と共に保存会解任
此の年、東深井連合運動会で初優勝、翌年も優勝し連続優勝する。
(私も、百足競争と二人三脚で、優勝に貢献しました。)
平成13年東深井子供育成協議会会長就任
平成14年 諸事情により生れ育った澤町を離れ福田(西中)に住居を移す。
この時、殆どの地車資料を処分 現在かなり後悔しています。
平成14・15年 澤町壮年会書記就任
平成15・16・17年 澤町若頭会副頭就任
平成18年 澤町若頭会役員を辞退し、ブログ千鳥会地車紀行を開設、地車愛好家に専念す。
平成20年澤町若頭会副頭就任(千鳥会地車紀行の取材優先を条件に) 
平成21年澤町若頭会役員を外れるが、諸事情により転職し思うように時間が取れない。
しかし、有能なスタッフに恵まれ、だんじり街道驀進中!
平成22年 転職し二年目むかえ仕事にも慣れ楽しくなるが、年末不慮の事故に遭い急遽手術するも反面入院時に溜まっていた情報を編集しアップする。
平成23年 甥の健太が急性心不全で死去する。改めて命の大切さと儚さを痛感する。
私も向こうに行くまで悔いの残さぬよう一歩一歩前に進んでゆこう
平成28年澤町壮年会及び澤町若頭会卒業
平成29年澤町実年会入会及び世話人会入会するも、愛妻千惠美が肺癌で闘病の末永眠する。

千鳥会地車紀行本館 
http://www.eonet.ne.jp/~tidorikai

「本気」

本気ですれば、大抵なことは出来る
本気でやっていると、何事も面白い。
本気でしているとと、誰かが助けてくれる。
人間を幸福にするために、
本気で働いているものは、
みんな幸福で、みんな偉い。

後藤静香先生


「二度とない人生だから」

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必らず
書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる日しずむ日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一篇でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつヾけてゆこう

『めぐりあいのふしぎに てをあわせよう』
坂村真民先生