CANBERRA


 オーストラリア第一の都市はシドニーやから、シドニーが首都やと勘違いされがちやけど、実はこのキャンベラこそがオーストラリアの首都なのです。このキャンベラにあたしはなぜか2回も足を運んだ。1回目は、友だちとレンタカーでどこかへいこう、という話になって、キャンベラあたりが無難に行けそうやったからなんとなく行ってみたのと、2回目は、学校の6年生のエクスカージョン(修学旅行みたいなもの)について行った。

 まず、レンタカートリップで訪れた時のキャンベラはとりあえずぎゃーぎゃーと騒ぎまくりの旅やった。まず、車で走ってゆく道路や景色の広さに感動しっぱなし。広いのだ。まだその時は、オーストラリアに着て1ヶ月くらいしか経っていなくて、シドニー&シドニー近郊で生活していたから街を少し離れただけで、急に何もなくなって、あるのはだだっ広い草原に自分らが通ってるこの道一本、という感じがほんまに新鮮で騒がずにはおられへんかった。右にも左にも地平線見える!!みたいな中を突っ走っていると、やたらと空が低く感じられた。そして、普段はホストファミリー生活で多少なりとも気を使っているのがあるから、友達だけで、しかも自分らで運転してどこか違うところへ向かうというこれだけでテンションが上がる理由には十分やった。それに加えて衝撃の景色の数々。壊れて行くのも無理はない。ロードトリップの中で一番衝撃やったシーンは、道端に白馬が死んでいたことだ。カンガルーとかは、たまに道端に死んでいるのを見かけたし、死んでることがあるよ、とはじめから聞かされて知っていたから見た時は驚きよりも、うわ!ほんまに死んでるし!!!と思うにとどまった程度やった。しかし、馬が!しかも白馬が!!道端に倒れていようとは誰が想像したか?!友だちが運転してる時に、向こう側の道路の際になんかあるなぁ、とすれ違いざまに見たらば血を流した白馬やった。死後硬直なのか、足はぴんと伸びて、目からか顔のどこかからかよくはわからへんかったけど、とりあえず顔の一部から血を流してずどんと倒れていた。ほんまに一瞬で通り過ぎたから詳しいことはわからへんけど、すれ違った瞬間3人で、『白馬死んでる!!!!!!!!!!!』と絶叫して、車内は一時白馬の話題でもちりきりになったのは言うまでもない。車に乗っていてのハプニング、その他、は、これしかない。『スピード違反してカメラに撮られた』。オーストラリアは道が広い上に、走っている車も少ないからめっちゃ運転がしやすい。だから、もともとの速度制限も110キロとかに設定されてあるわけです。けど、この運転しやすいというのが災いしてスピードがめっちゃでるから、110キロなんかも簡単に超えてしまうのだ。しかし、そんなことはただの言い訳にしからならず、暗くなってから運転していた時に、パシャリ、と何かが光った(暗かったからなぁ。)。スピード違反か?!とすぐに見当はついたけど、旅を終えて帰っても、レンタカーを返す時も何も言われへんかったから、あの撮影はきっと脅しに違いないと高をくくっていると、何ヶ月か後にきた……、請求が。しかも、友だちの日本の実家にオーストラリア政府から……!!!!!ひぃいいいい。やってもうたーーー!!!!というても後の祭り。力なく友達からメールがきて、結局罰金を払うはめになった。確か、15キロオーバーくらいやったと思う。128ドル也。その時運転していたのはあたしやのに、友達の名前で車を借りたから友だちのところに請求がいってしまったからほんまに申し訳ない。このスピード違反というのが結構曲者のようで、オーストラリアでは取締りが厳しいようだ。現に、他の友だちも罰金を払わされたらしい。オーバーしたスピードが速ければ早いほど罰金も上がっていくから要注意。ほんま、あほらしい出費やった。

 そして、肝心のキャンベラ。地図を見た限りではえらく整備された走りやすそうな道やなぁ、と言う感じやねんけど、行ってどっこい。ほんまにややこしい。自分らがどこにおるんかもようわからへんし、こことおったことあるような、ないような、結局どこやねん?!みたいな感じで迷いっぱなしやった。Black Mountain(ブラックマウンテン)という山があって、その上のテレビ当みたいなやつに上ると市内が一望できてめっちゃきれいらしい、ということでブラックマウンテンを目指すも、なかなかたどり着かれへんかった。山やから、走っていてずっとあそこや、と分かっているのに、入り口がなかなか見つけられへん。山が近づいたと思えば、入り口がみつからへんまままた山が遠ざかっていくのだ。そんなことを繰り返しているうちに、郊外の町にまでいってしまったり、ブラックマウンテン入り口探しは散々やった。夜景を見に行きたかったのに結局第一日目は見つけられず、翌日の早朝から『入り口探し』をするはめになった。まぁ、2日目ば無事に何とか山の上までいけて、よかったなぁ、と言う感じやった。

 自分らでいったキャンベラとリップはまぁ、テンションが異常に高かったから、どこへ行っても何をしても楽しかったんやけど、やっぱり楽しすぎるのがスーパーマーケット。キャンベラではYHA(ユースホステル)に泊まったから自炊やってんけど、それの買出しがめちゃくちゃ面白かった。料理を普段せぇへんもんやから、友だちにまかせっきりで『師匠〜!次は何をいたしましょう?!(揉み手)』『にんじんの皮でもむいてくれる?!』みたいな感じで、後々振り返るとあの時あの子がおらへんかったから悲惨な食生活になっていたかもなぁ〜。それくらいに友達には感謝感激。

 それで、このキャンベラのYHAなんやけど、結構町から外れたところにあったから車じゃなかったら辛かったかも知れへん。その時は、バッパー(バックパッカーズ、安い宿)の存在も知らんかったんやけど、後で聞くと、町の中心地にはバッパーとかもあるとのことやった。そしてキャンベラYHA!泊まった部屋の2段ベッドがとにかく揺れすぎやった。どこかのねじが外れてたんちゃうかなぁ、と思うんやけど、上に寝ていたもんやからベッドに乗り降りするだけでかなり揺れていた。横揺れ。そのまま、ぺちゃんと下に着いてしま_そうなくらいやった。相当やで。しかも、はしごがないから、部屋にあるいすを使って乗り降りするんやけど、暗闇の中では結構苦戦した。この時同じ部屋になったこはイスラエルの子で、キャンベラ旅行が終わってから1回シドニーでおうて、いろいろ話をして面白かった。普段はイスラエルの人と知り合う機会がなかったし、実際始めておうたんやけど、一番聞いて衝撃的やったのが兵役の話。イスラエルでは、高校を卒業したら男女問わず全員2年間は軍隊に入るのだそうだ。その友だちは、3年間軍隊に入って、それが終わった後Hebrew(ヘブライ語)を小学校で教えるためにオーストラリアに1年か2年ほど来たのだそうだけど、兵役を終えたイスラエルの人たちは大体半年から1年くらい一度イスラエルを出て世界を旅するのが一般的らしい。そうして、自分のやりたい事を見つけてイスラエルに帰って大学に入って勉強するのだそうだ。これには、驚いた。大学って本来そういうところなんやと思う。学ぶ意思のある人たちが行くところで、決して進学の延長戦みたいなノリで行くところではない、と思った。そういう意味でそのイスラエルのシステムはすごいなぁ、と思った。軍隊に絶対はいらなあかんというのはさすがに驚いたけど。

 さて、話が少しずれたけどキャンベラに戻ってきましょう。車があったのはほんまに大きくて、結構離れたところでも思いつきでいけたから、そこは良かった。思い出深いのが、War Memorial(戦争記念館)。ここがめちゃくちゃでかい。第一次世界大戦と、第二次世界大戦と別れていて、第一次世界大戦のほんまにすぐ入ったところはANZAC一色だった。アンザック……???ガリポリ……???日本人には馴染みの薄い戦いなので、全くわからへんかった。一生懸命説明書きを読むも、いまいちぴんとこうへん。オーストラリアの味方の国は?!っていうか、どこと戦ってるんや??という状態で、全く話にならへん。これはあかん、と思った。やっぱり、歴史はしっとかんと。しかもオーストラリアにおるんやから、ちゃんと知っとくべきやったな、と思ってしまった。しかし、この見かたもなかなか効率が悪くて、はじめのアンザックのところに食いつきすぎたものやから、時間がなくて第二次世界大戦のところはみられへんかった。印象的やったのが、第一次世界大戦の展示のところにあった日本軍の説明書きのところ。日本の空軍は最初とてつもなく強くて、それに他国はやられまくりやったらしい。神風特攻隊のことも紹介されていて、そこにある隊員の妻に当てた手紙の文章がガラスに日本語で書かれていたのだけれども、これから死に向かう覚悟の手紙で胸が痛んだ。そして、これも恥ずかしながらなんやけど、日本軍がオーストラリアを侵略しようとしてたのを知らんかったのよな。だから、友だちに聞いた話によると、今でも田舎のほうの年をいった人の中には日本のことをよく思っていない人たちがいるのだそうだ。そういうのも含めて、やっぱり歴史はしっとくべきやなぁ、と思った。過去を知らんことには、これからがないのと同様やからなぁ。そういうわけで、広島にいってもそうやけど、戦争の資料館にいくと色々考えさせられるものがある。

 もう一つかなり食いついたのが、Mint(造幣局)である。お金の歴史や、お金が実際に見れて、しかも1ドルコインが作れる!という自販機みたいなものもあってこれは楽しかった。その1ドルコインは実際に使えるけど、作るのに2・5ドルくらいするから、皆記念コインとして作る場合が多いようだ。そらそうやわ!!1年に1回デザインが変わって、毎年いくと毎年違うデザインが手に入るらしい。コインのほかには、シドニー五輪のときにメダルとかも置いてあって面白かった。

 友達とレンタカーで行った時は、キャンベラがすごいんじゃなくて、車で旅してるというその事実に浮かれまくったようなところがあるから、特筆するようなことはないかもしれへん。その証拠に、馬の死体を見たとか、スピード違反とか、道に迷ったとか、特にキャンベラに関係ないような思い出ばっかりが先行している。しかし、これが、School Excursion(修学旅行)となると、またキャンベラは違ったところに見えてくる。一気に学ぶこと盛りだくさんの町になるのだ。

 キャンベラは、オーストラリアの首都なのでもちろん政府関係の建物も多い。
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