本   文(縦書き) 解  説(横書き)
大悲心陀羅尼
仏・法・僧(三宝)に帰依したてまつる
大慈悲尊・聖観自在菩薩摩訶薩に帰依したてまつる
一切の恐怖の中にあって衆生を救いたもう観自在菩薩に帰依したてまつる
そのお方に帰依したのち
私は聖観自在菩薩の威神力を持つ大慈悲の真言を唱えます
吉祥なる一切の望ましいものを成就せしめ 一切の鬼神の悪行が及ばない
一切の迷いの世界を浄化する真言を唱えたてまつる 
光明である智慧ある尊よ世間を超越する尊よ
偉大なる聖観自在菩薩よ いざいざ 導きたまえ導きたまえ、憶念したまえ憶念したまえ
真言を速やかになしたまえなしたまえ 完成したまえ完成したまえ
偉大なる勝利の尊よ 大勝利の尊よ 保持したまえ 保持したまえ
最勝なる観自在菩薩よ 動きはじめたまえ動きはじめたまえ 汚れを離れたる尊よ
汚れ無き身体を持つものよ ここに来たまえここに来たまえ
貪欲の害毒を滅除する尊よ 瞋恚の害毒を滅除する尊よ 愚痴の害毒を滅除する尊よ

取り去りたまえ取り去りたまえ 汚れを取り去りたまえ  
観自在菩薩よ 動きはじめたまえ動きはじめたまえ
現れたまえ現れたまえ 進み出たまえ進み出たまえ 成覚したまえ成覚したまえ
慈悲深き観自在菩薩よ 姿を見んと欲するものには形影をあらわし歓喜せる尊よ 吉祥あれ
大覚成就のため祥福あれ 偉大なる大覚成就のため吉祥あれ
大覚の行法に自在なるものに吉祥あれ
観自在菩薩よ 吉祥あれ
猪の顔をもつものに祥福あれ ライオンの顔を持つものに吉祥あれ
一切の大成就者に祥福あれ 円輪を以て戦う尊に吉祥あれ
蓮華を手にする尊に吉祥あれ
観自在菩薩よ 法螺貝の音を知らしむるものに吉祥あれ
黒色の者と虎皮を衣服とするものに吉祥あれ
三宝(仏・法・僧)に帰依したてまつる 聖観自在菩薩に吉祥あれ
真言の諸句に吉祥あれ

 大悲咒(だいひしゅう)は大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)と呼ばれますが、正式には千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼(せんじゅせんげんかんじざいぼさつこうだいえんまんむげだいひしんだらに)といいます。すなわち観自在菩薩(観音さま)の大慈悲をあらわした経典であります。
 このお経の説かれる舞台は、観音さまのいる補陀洛山(ふだらくせん)の道場です。そして、この陀羅尼は、観音さまが「もろもろの衆生に安楽を得せしめんがためのゆえに」と述べて千手千眼とともに授かったもので、除病・延寿・富饒を得、重罪滅除・離難・功徳増長・善根成就・離畏怖・随願満足などを祈るものであるといわれます。禅宗では『般若心経』とともに、よく親しまれているお経です。

 陀羅尼とは「総持・真言」と訳されます。玄奘三蔵法師は陀羅尼を「五種不翻」(ごしゅふほん)といい、翻訳をすると原意からはずれる故に中国語に翻訳しないで、サンスクリットの発音のまま漢字にしたものです。
 陀羅尼とは、第1には「秘密の故に陀羅尼である」、
 第2には「多義を含むが故に婆伽梵(ばがぼんと読み世尊と訳される)が六義を具するが如し」。《六義とは一、瑞祥を備えた者。二、煩悩を破壊せし者。三、瑞徳を備えた者。四、四諦の教理を了解した者。五、行法を受持する者。六、輪廻の世界の彷徨を放棄した者。》
 第3には「ここに無きが故に・・」インドにしかない人名地名など固有名詞にあたるものです。
 第4には「古(いにしえ)に順ずるが故に・・」中国に仏教が伝わった古より習慣的に用いられてきた用語などのことです。
 第5には「善を生ずるが故に、般若の如し」《般若とは一般的には智慧と訳します。》という意味がこめられてあります。
大悲呪(映像)リンク