「いのちを考える」ためのカリキュラムの実践 

兵庫・生と死を考える会「生と死の教育」研究会作成のテキストを使用して

     松蔭中学校・高等学校 

服部洋介

 

 

 

 

 新カリキュラムの実施を控えて

 2002年度から実施予定の新カリキュラムが発表されて以来、現場に不安と緊張と困惑を与えている総合的な学習の時間の下地として考えてみた。総合学習とは何かを定義するのはむずかしいが、問題発見の仕方、学び方の学習だと言えるのではないだろうか。

 本校における総合学習との関わり

本校では今回の新カリキュラム発表に先立ち、97年度より学校5日制に移行した。その際、高校3年生で実施している総合講座(97年私学研究論文集で報告)などいくつかの独自の試みに取り組んできたが、その中のひとつがホームルームの(生徒に意見を発表したり自ら考える力を身に付けさせるための)改革であった。意図したわけではない(本校の取り組みの方が中教審の答申に先行していた)が結果的に一部、新たに目指す総合学習的な内容が含まれることになった。

本稿では「だれもが取り組める生と死の教育」を目指して作られた兵庫・生と死を考える会「生と死の教育」研究会作成のテキストを中心に使用にし、中学2年生のホームルーム時に行った「いのちを考える」授業の実践について報告したい。

 「生と死の教育」の黎明期

「死」について語る、あるいは考えることに対する抵抗は、「性」に対するものと似ている。今では当然のことのようにほとんどの学校で単なる純潔教育ではない「性教育」に取り組んでいるが、学校で「性」の問題に取り組むべきと言われたとき、だれもがとまどい、途方にくれたはずだ。しかし、先駆的な教師による先駆的な取り組みがまずあって、そこから「だれにでも取り組める性教育」の基本の形ができあがってきたはずである。「死」をテーマにする教育もまた、今、「性教育」の黎明期と同じ段階にさしかかっているのではないだろうか。

テキストについて

95年の阪神大震災、97年、神戸市須磨区の連続児童殺傷事件を経て、神戸市教育委員会が「心の教育緊急会議」を開催し、まとめた提言に「生と死を考え、生命の大切さを学ぶ教育の充実」を掲げた。98年、「兵庫・生と死を考える会」(英知大学人間学研究室内)では県と市の教育委員会の後援を得て「心の教育研修会」を開催し、さまざまな討議を経て現場教職員有志を中心とする「生と死の教育研究会」が発足した。その会による「生と死の教育に関するノウハウについて」の研究成果が「生と死の教育 教育現場で実践できるカリキュラム」である。

00年には本カリキュラムの基礎を作るのに中心的な役割を果たした東大阪市立長栄中学校の山下文夫教諭が行った授業のビデオも制作され、実際に授業を行う上で大変参考になる。テキスト、ビデオとも「生と死を考える会事務局」(Tel 06-6492-9826 または078-851-2151、e-mail seitoshi@potnet.ne.jp)で取り扱っている。

 同書の目次 1 命のつながり 2 死に別れた悲しみ 3 生と死を学ぶことの必要性 4 避けられない死・避けられるかもしれない死 5 生と死をとりまく現代医療 6 死の看取り 7 喪失体験 8 生と死を学んできて 9 生かされているいのちのすばらしさ  

  

2000年度における本校の取り組みにおける実践

 テーマ いのちを考える 前期〜後期前半 生と死  

             後期後半 生と性(省略)

テキストのすべてを使用するのは困難なので、まず年頭に時間数や時期を考慮しつつ、大ざっぱな年間計画を組んだ。教科担当制の中学や高校の教師にとって、担当教科以外の科目を扱うことに対する負担は小さいものではない。ましてや生と死の教育など、教師自身が生徒として受けた経験がなく、最初は想像することすら困難であった。全クラス一斉に行ったが、授業担当者の年齢やこれまでの生活体験に負う部分も少なくなく、クラスにより内容が変更になったり、方向が多少ずれてもよしとした。

 もとより正解などないことなのであるから、生徒の作業や生徒同士が話し合ったり考えたりすることを中心として授業を進めた。クラスによってはさまざまな問題を抱えた生徒がおり、個別の事情に十分配慮して行う必要があるので、担任以外の教師が行う場合は、担任との連絡を密にする必要がある。

 第1回目 なぜ生と死について考えるのか 1(テキスト20ページ参照)

 1 「マイフレンド・フォーエバー」(輸血が原因でエイズにかかったひとつ年下の少年との交流を描いた映画、上映時間100分)を空き時間を利用して見せた。そこから感じ取ったものを話し合わせた。

 2 グループからの報告を聞いた後、教師は自由に意見を述べ、「死はエイズの少年だけではなく、デクスターや母親にも訪れる。/死はさけることができないものである。/死について考えることを避ける傾向にある。/死が私たちの生活から身近なものでなくなった。/自分の命を軽視するようなことが起きている。」というようなことを指摘して、これからじ「いのちを考える」授業に取り組むことを説明した。(「生と死を学ぶ必要性」テキスト20ページを参考)

 

 第2回目 なぜ生と死について考えるのか 2

 1 死について考えるアンケート*1を書かせ、グループごとに集計をする。

  1. 社会には死について考えなければならないことがたくさんあることを実       感させる。

 「なぜ死について考えるのかに関するアンケート」*1とその集計

 まず次の問いについてあなた自身の答えを考えて下さい。

Q1-1 生命は有限(いつかは死ぬ)だと気がついたのはいつごろでしたか?

幼稚園時代 小学1〜2年 小学3〜4年 小学5〜6年 中学入学後

14

9

6

1

1

Q1-2 どういうことがきっかけで生命は有限だと気がつきましたか?

昆虫や動物の死 両親・祖父母・兄弟の死 親戚の死 友達の死 テレビ番組 事故などの目撃 その他

10

11

3

2

3

2

8

Q2-1 日ごろの生活で「死ぬのはいやだなあ」と思ったことがありますか?

ある ない

31

11

Q2-2 それはどんな時ですか?

jジェットコースターに乗ったとき なんとなくふと
殺人や事故のニュースを見て 有名人が死んだとき
(ホラー)映画を見たとき 寝る前にふと
知った人が死んだとき 死ぬときのことを真剣に考えるとき
ひとりになったとき 怖いとき
いいことがあったとき アイドルが死ぬとき

Q3-1 死ぬことは怖いことですか?

はい いいえ どちらでもない わからない

19

16

1

6

Q3-2 それはなぜですか?

痛そう どうせいつかは死ぬから 怖い
生きているのが楽しい 死んだらどこに行くのかわからない
わからない お化けになりそう
苦しそう どうなるかわからないから さみしそう
好きな人に会えない

Q4-1 死にたいと思ったことがありますか?

ある ない

19

23

Q4-2 あると答えた人に質問します。それをとりやめる(思いとどまる)きっかけはどんなことでしたか?

アホみたい いいことがあったとき 死ぬのはもったいない 怖い 痛い 見たいテレビがあった
生きていると必ず楽しいことがあるから 友達のことを考えて まわりの人が悲しむから 立ち直った

Q5 これまでに実際に体験した死にはどんなものがありますか?

祖父母、親戚の者の死 友人の死 有名人の死 他人の死   ペット類の死

29

8

14

23

29

Q 6  これまで家で「死」を話題にしたことはありますか?

大ぴらに語られた ある程度不快感があった 自分は除け物にされた ほとんどタブーであった 語りあった記憶がない その他

6

6

3

26

1

Q7 逆にあなた(生命)の誕生やセックス(人がどうやって生まれてくるかなど)を話題にしたことはありますか?

大ぴらに語られた ある程度不快感があった 自分は除け物にされた ほとんどタブーであった 語りあった記憶がない その他

6

2

3

26

1

Q 8 あなたの「死」に対する考え方で近いものはどれですか?(複数回答も可) 

天国か地獄に行く 魂が永続 永遠の眠り 肉体と精神の活動の停止 神秘、不可解 全くの無 考えたことがない その他

20

12

17

15

7

5

1

6

Q 9 次の中で知っている言葉を選んでください。いくつ選んでもかまいません。少しでも自分の意見を言えるものには◎、言葉だけなんとなく知っているものに○をつけなさい。

Q 10  Q9の項目でくわしく知りたいものはどれですか。番号を記入してください。

尊厳死.安楽死 脳死 臓器移植 植物人間 人工授精 遺伝子診断 ターミナル・ケア ホスピス インフォームドコンセント
◎ 

29

31

31

31

26

15

3

4

2

19

20

22

21

27

21

4

7

3

Q10

4

1

6

6

4

9

7

 ひとりひとり机に向かって書かせるよりも、グループに分かれ、話し合いをさせながらかかせた方がよい。ふだんなら話題にしない「死」について意見を交換するのは、今後の話し合いの雰囲気を作ることに役に立つ。実際にやってみるとアンケートを書かせる作業だけでも一時間近く使う。生徒たちは統計をとりながらいろいろな話をするので、きちんとした話し合いをさせなくても、出てきた話題をメモさせていくとよい。またQ6Q7の死と性の話題に対するあり方が同じであるのは興味深い。

 第3回目 命のつながり1(テキスト5ページ参照) 

 1 ゾウやキリン、カバ、犬などなじみのある動物の寿命を問い掛ける。

 2 生命は有限であることを改めて考えさせる。

 3 系図を書かせる。

 4 最後に系図を書いたことで得た感想を書かせる。

 生徒は幾度も書き直し、なかなか書き進むことができない。線がどんなにゆがんでもよいなどと言いながら、とにかく最後まで書かせるよう励ます。用紙のサイズはB4がよい。紙からはみ出すほどだということを実感することが必要である。

 担任も実際にやってみることが大切でさる。作業の大変さを経験すると、生徒たちに作業をさせる上で励ましたり、生徒に対して共感できたりする。私自身は、模造紙に祖先の系図と子供を二人ずつ産んでいったことにする子孫の系図を作っておき、授業のまとめの段階に掲示した。

 そして祖先の部分について、このなかのだれか一人でも欠けていれば自分が存在しないこと、この教室にいるだれかとどこかでつながっているかもしれないことなど指摘した。また子孫の図を見せ、自分がいることでどんなひろがりを持ってくるかについて指摘し、「わたしがここにいるためには」どれだけのつながりが必要であるか、「わたしがここにいることで」どれだけのつながりができていくのかを実感させてまとめとした。

 生徒の感想の中ではいわゆる17才の少年の事件に触れて、「むかついたり切れそうになることは自分たちにもあるが、このような授業をしていると命について考えずにはいられなくなる」というものもあった。家に帰ってからこの日の作業で体験し、実感したことを長い時間しゃべり続けた生徒がいたとの、保護者からの報告もあった。普段考えもしなかったことに生徒たちは大変感動したようだ。

 テキストでは祖先をたどるだけであるが、本校は女子校であり、後期後半に性教育をする予定があったので、自分たちが「生む」性であることも意識させるために、後半部分の二人ずつ子どもを生んだとしたらどうなるかという項目も付け加えた。

 「生と死を考える会」の研究会では、米粒を生徒に配り、一時間かけて数えさせる作業の報告もある。これは3億という精子から生まれてきたことを実感させるためで、系図を書くのと同じような効果がある。

 第4回目 生きている意味を考える

1 第3回目の授業の系図の感想を発表させる。

 2 第2回目のアンケートのクラス集計を配付し、話し合いをさせる。

 3 その後「もし今死ぬとしたら、どんなことが悔しいか、残念か、無念か、未練か」について考えさせる。

 紙を配付し、司会役と書記を決め、グループで話し合いをさせながら自由に書かせる。当初、期待したような深い内容のものは出てこないが、それでも今、自分がしたいことや失いたくないことなどを考えさせることは、生きることの意味や生の充実へとつながっていくはずである。

話し合いの結果出てきたもの

楽しいことをいっぱいしたい。 欲しいものが買えなくなる。 家族に会えなくなる。 これからの人生がなくなってしまう。 結婚できない。子孫を残せない。 家族を悲しませてしまう。 もっといろいろなところへ行ってみたかった。 お金が使えなくなる。 死んだらどうなるか怖い。 どんな大人になるか知りたかった。 自分の未来が知りたかった。 将来の夢がかなわなくなる。 へそくりを全部使いたかった。 お母さんへの借金が返せない。 結婚。 子ども。 彼氏。 一日中遊びたかった。 大金持になりたかった。 彼氏とデートしたかった。 渋谷を歩きたかった。 ブラジルでサンバを踊りたかった。 学年トップの成績をとってみたかった。 青春をしてみたかった。 宇宙に行きたかった。 ヘリコプターに乗ってみたかった。 声優になりたかった。 外国のパーティーに行きたかった。 好きな食べ物を食べたかった。 髪を染めたかった。 お酒を飲みたかった。 ペットがどうなるか心配。 好きなことをしたかった。 子育てしてみたかった。 車の免許を取りたかった。 テレビが見られない。 ゲームができない。 成人式に出たかった。 バイトがしたかった。 身長がほしい。 カラオケで合コンがしたかった。 芸能人に会いたかった。 世界旅行に行きたかった。 男子校の文化祭に行きたかった。 就職したかった。 漫画を読みまくりたい。 いろいろな友達と遊びたい。 やりたいことをやったら静かにすごす。 寝る。 服とか靴とかほしいものを買いまくる。 エアロ・スミスに会う。 おいしいものを食べまくる。 ジャンクフードをいっぱい食べる。 グレイのヒサシとしゃべってみたい。 100歳まで生きないと意味ない。 金持ちになるまで死ねない。 東京へ行く。 嵐に会いに行く。 買い物をしまくる。 結婚してみたい。 もっと遊びたい。 思うがままにやってみたい。 アイドルに会いたい。 アルバイトをしたい。 カラオケ、幸せ、温泉、世界征服。 ルーズをはきたい。 携帯ほしい。 周りの人をぎゃふん。 バスケ全国一。 姉がほしい。 世界平和。 お酒の味を知りたい。 きれいな服を着たい。 お金の心配なく買い物をしたい。 電話ができない。 松蔭のロングコートが着れない。 プロポーズされない。 一人ぐらしできない。 同棲できない。 宝くじ当てたかった。 合コンできない。 飼い犬に子どもを生ませられない。 とんこつラーメン食べられない。 デートできない。 ギョーザ食べれない。 いっぱいお化粧してみたい。 ミニチュアダックス飼いたい。 

 この授業の後、夏休みをはさんだが、提出された例年行われている読書運動の感想文の中に「いのち」を意識した記述が非常に多く目についた。

第5回目 死に別れた人の悲しみ 1(テキスト7ページ7ページ参照)

 第4回授業で出させた「もし今死ぬとしたら、どんなことが悔しいか、残念か、無念か、未練か」についてまとめたものを読ませ、自由に感想を述べさせた。その後、今、あるものがなくなること、これからできたかもしれないことができなくなることなど、死によってもたらされる「喪失感」などの特徴があることを指摘させた。

1 次の授業で「死に別れた人の悲しみ」について取り上げることを予告し、準備としてアンケート*2に答えさせる

2 アンケート*2を書かせながら、あるいは書き上げてから話し合いをさせる。ひとりずつ個別に書かせてもよいし、相談しながらやらせてもよい。生徒が口にするさまざまな言葉に耳を傾け、説明したり、助言をしてやったりすること自体、話しにくいことを自由に話せる雰囲気を作る上で、大切な意味を持つ。


 死に別れた人の悲しみに関するアンケート*2

 次のような場面を想定してみましょう。

 授業中に突然、扉をノックする音が聞こえて、事務所のAさんが入ってきます。

 Aさん:「○○さんはいますか?」

 あなた:「はい、私です」

 Aさん:「××さんが亡くなったそうです」

 あなた:「 (ア) 」

 Q1 あなたはだれのことを思い浮かべましたか?

 Q2 なぜですか?

 Q3 「(ア)」ではどんな言葉が思い浮かびましたか?

 Q4 その次にどんな気持ちになりましたか?

 Q5 その日のあなたはどういう行動をとると思いますか?

 Q6 一週間後(のあなたの気持ち、家庭の雰囲気、その人の持ち物や部屋)はどうな 

 っていると思いますか?

 Q7 一ヶ月後(のあなたの気持ち、家庭の雰囲気、その人の持ち物や部屋)はどうな 

 っていると思いますか?

 Q8 一年後(のあなたの気持ち、家庭の雰囲気、その人の持ち物や部屋)はどうなっ

 ていると思いますか?


Q1、Q2  お母さん 体が弱いから 近所の友達 一番最初に浮かんだ おじいちゃん 一番年寄りだからなんとなく 叔父上 胃が悪いから 仲のよい友達 最近似たようなことがあったから 親戚 なんとなく お父さん 仕事の行きかえり、出張が多いから おじいちゃん 今入院している おじいちゃん 今具合が悪いから 妹 ばたばたしてよく怪我をする、一番意外な人 ひいおばあちゃん 90才過ぎているから いとこのお姉ちゃん 大好きだから おばあちゃん もう死んでもいいと言っているから お母さん 体があまり丈夫じゃないから 友人 大切な人だから お母さん 家の中で一番印象が強い お母さん 弱いから お母さん 家の中で一番必要な人でいなくなると困る お父さん 仕事が工事関係だから 家族 一番身近 おじいちゃん 会社に行かないと行けないのに行けない状態になっている おばあちゃん 今入院している お母さん 体が弱い お母さん 一番自分のことをわかってくれている人だから お兄ちゃん 回りに注意してなさそう、交通事故にあいそう お母さん 一番たよりにしているし、好きだから死んでほしくない気持ちが強い お母さん ふだんから死にそう お母さん 一番いなくなったら悲しい お母さん 一番元気で死から遠い お父さん 煙草を吸っている ひいおばあちゃん 寝たきりだから おじいちゃん、おばあちゃん おもしろくてやさしい

Q3  言葉が出ない 「・・・は!?」 ウッソー 「はぁ・・・?」 えっ・・ウソォ ・・・? えっ!? うそやー えぇ!? はぁ?!何言ってんの 本当ですか 信じられない ぜったいうそ(以下同種の答え多数)

Q4 びっくりする 悲しい さみしい なんで死んだんやろ パニック状態で真っ白 マジでー!! うそやと思った 信じられない 何も考えられない 悲しいがしょうがない もっと親孝行すればよかった なんで その場に行きたくない気持ち なんで死んだんやろ 信じたくない 不思議な気持ちになる 昨日まで元気やったのに 不安と悲しさ 悲しい 信じたくない ぜったいうそ なんでそんなこと お父さんの気持ちを考える そのときはまだ信じられない ずーっとうそだと思っている うそやーと思う マジで!? 同情 なんで 信じられない 信じたくない (以下同種の答え多数)

Q5 一日中泣いている ぼーっとしている 死んだ友達の携帯に電話する 行ってもおじいちゃんを見れない すぐ行く 泣きながら帰る 一日中泣いている わからん 何もする気がしない 流されるままの行動 自分で考えることができない状態 元気がない行動  動かない 会いに行く 今までのことを思い出す 他の人に言われたとおりする 泣きまくる その人と過ごした思い出にふける 今までお母さんがしていたことをする 気が済むまでぼーっとしている わからない 呆然としている  部屋の中にずっといる そのときにならないとわからない 気力を失う 放心状態になる なにもしない 静かにしている 放心 今までのことを振り替える 一日中泣いて泣いて泣きまくる

Q6以下省略

 アンケート結果を見るとQ1やQ2においては、生徒が家族との関係の中に抱えた困難な問題を想起させる解答(プライバシーに触れるのでここでは省いてある)や、考えること自体を避けようとする姿勢が見られる解答もいくつかあった。Q3からあとのものについて見ると、第七回目で触れるアルフォンス・デーケン分析による12段階の悲嘆のプロセスを無意識のうちにきちんとなぞっていることがわかる。

第7回目 死に別れた人の悲しみ 2

1 教師が生徒に死別体験を語る。たとえば祖父母など語る対象の実物の遺影などを用意し、残されたものの思いについて重点を置いて語る。状況に応じて、事故などの突然死を想定し、生徒の制服などを利用して残されたもの悲しみを実感させる(たとえば遺品をすぐに始末できないなど)。死の問題は「想像力」の問題でもある。

また教師によっては身近な死の体験の不足を心配する場合もあるが、肉親ではなくても生徒や生徒の家族のことなど、これまでにさまざまな事例を経験しているはずである。プライバシーの問題に触れないよう配慮しつつ、整理をして、教室で話題を提供するようにすればよい。これもまた「想像力」の問題なのである。

 2 その後、前回とったアンケートを振り返らせ、「悲嘆のプロセス」(1精神的打撃と麻痺(まひ)状態 2否認 3パニック 4怒りと当惑 5敵意とうらみ 6罪悪感 7空想と幻想 8孤独と憂鬱 9精神的混乱とアパシー 10あきらめ 11新しい希望 12立ち直り)を利用し、「死の社会性」について理解させる。

 3 授業の感想をまとめさせ、発表させる。

 死に別れた人の悲しみ感想の抜粋

 よく妹がむかついたら、もういなくなったらいいのに、とか死んだらいい、とか出ていけとか言うけど、やっぱりいなくなったらいやだと思う。だから誰であってもこういう場面には出会いたくないと思う。

 親しい人が死んだ経験がなく、お葬式にも行ったことがない。だからそういう気持ちはまったくわからないけれど、とても悲しいことなんだなと思った。そしてひとりひとりの命でほかのたくさんの人の人生まで変えてしまうなんて、すごいというより怖いと思った。

 4年前に飼っていた犬のことを思い出した。その犬も強い注射をうたれて歩けなくなって死んでしまったので、その病院に怒りやうらみを持った。そして悲嘆のプロセスのように空想をしたり、罪悪感を持ったりいつもしていたので、こんなことは二度と体験したくないと思った。

 胸がちくちくして、なんか知らないけれど動揺している。身近な人が死んだとき、どんなことを感じたのか思い出そうとするけど、わからない。小さいときはしかたがないけど、六年生のときくらい覚えていてもいいのに。今大好きだと思っている人が死んだとき、どういう気持ちかな、って感じのことばかりでした。

 人間には希望がないといけないということがわかった。人が死ぬことは本当につらいことだと思った。友達や家族が死んだらいやだから。

 私の祖母は先生のおとうさんと同じ病気(脳梗塞)で、言葉はめっちゃしゃべるけど、左半身が動きません。祖母が病気になったのは小学一年のときで夜中に救急車が来て、何がなんだかわからなかったことを覚えています。みんないろいろ乗り越えて生きているんだと思いました。

 今までにこんなんやったら死んだほうがましとか思ったことがあったけど、やっぱり今日の話を聞いて自分の命だからって、そんなことを思ったりするのはよくないと思った。

 友達が亡くなったとき私の場合は(悲嘆のプロセスの)1、2、3、7、→2、3日→5,6、7、8、11、12でした。でも一週間もすればすっかりよくなっていて、特に感じることは少なくなりました。友達は自殺だったのですが、それを知ったときは「やっぱりなあ」と思ってしまったことに後悔しています。

 希望って本当に大切だなと思いました。何かしたいことがあるから、それを目指してがんばったりできる。だれかが死ぬことは絶対に考えたくないけど、必ずいつかくることなんですね。

 先生の話したことを自分のことにして考えてみた。そしたらとても悲しかった。今授業をしているときにノックされて「お母さんが死にました」と事務所の人が着たらと思ったら、涙が出そうになった。そしたらやさしいお母さんの顔が出てきて自分は何をしてあげただろう?もっと親孝行すればよかった。わがままばっかり言うんじゃなかったと思いました。こんな終わり方はいやだからこれからの生活を大切にしたい。

 人が死んだとき立ち直るまでこんなにたくさんのことがあるなんて思わなかった。いくら嫌いな人と思っていても反発していざその人がってことになったら、その時初めてその人の大切さがわかるのだろう。

 病気になって動けなくなると、世話をしている人よりも本人が大変だなあと思った。自分の命だからといって、へんにむだにつかってはいけないと思った。

 私のおじいちゃんが死んだときは小学一年だったからあまり覚えていないので「死」ということがどんなことかわからなかったが、今日の話を聞いて少しは「あーそういうことなのかな」と思った。

 子どもに先立たれた人の気持ち、また幼くして亡くなった子ども、死ぬ前の気持ちなど、身近にそういう人がいないため、考えたことがなかった。40年間、お骨をかわいそうだからとお墓に入れなかったのは、悲しい気持ちを持ちつづけていたのだと思います。見た目は明るくふるまっていても人の気持ちも知らず、ずばずばと言ってしまってはいけないと実感しました。

 私は猫を飼っています。今一番大切なものです。でも、いつかは死んでしまうと思っただけで悲しくなります。反対に今猫と一緒に生きているという希望があるから楽しいです。

 死ぬのはつらいけど、生きるのにもつらいことはるんだと思った。私は人は希望さえあれば生きていけると思う。重い病気で死んでしまうこともあるかもしれないけど病気などで苦しんでいる人には希望を持ってほしいと思います。

 誰かが死ぬとその周りの人にも大きな影響を与えることになる。私もペットが死んだときはショックだったし、残された人のことを考えると命を粗末にしないでほしい。

 自分の命が自分だけのものではないということがわかってよかった。

(白紙の感想も3人あったが他は、よく理解していたように思われる。)

 

第8回目 避けられない死・避けられるかもしれない死(テキスト22ページ参照)

 

 前回授業の感想の中に、「自分は病気で苦しむよりも安楽死がよい」という主旨のものがあったので、安楽死に対する誤解をとくために補足説明をした。のち本日の課題に入る。

 授業対象である中学2年生は人間関係の構築の仕方が未熟で、実にさまざまな問題が起きる。この項目の主旨から少しずれるかもしれないが、敢えて「避けられるかもしれない死」のうち、他の場面で取り扱うのが困難な「イジメ」問題に主眼を置いて授業を進めた。

1 人が死ぬ原因にどんなものがあるか考えさせる。

2 日本人全体の死亡原因の表を見せる。(テキスト24〜25参照)

3 次に10〜20代の日本人の死亡原因について考えさせる。

 不慮の事故および自殺に注目させ、不慮の事故に関しては交通事故の問題に触れる。自殺についてはその原因を考えさせる。多くの生徒は「イジメ」の問題について意識するので言葉の暴力など、日ごろ、自分たちの身の回りで起こっているできごとに注目させる。イジメがどうのようにして起こるかについても討議させ、何気ない行為や言葉がどのような大きな結果を持たすかについて考えさせる機会にする。さらにどうすれば自殺を避けられるかについて意見を交換させる。普段は「イジメ」について教室で話し合うのは難しいが、「いのち」の問題として取り扱えば、自然に考えるようにしむけることができる。

第9回目 人に共感するー悩んでいる友だちを支えるために

 いじめなどの問題による自殺を防止するために、人に相談をすることの大切さを理解させる。またじぶんたち同士で問題解決するため、悩んでいる友だちから相談を持ちかけられた場合、どう対処したらよいかを考えさせる。

 1 「人の悩みを受け取るために」のプリント*3を配付

 2 悩みに対する解答を示す前に、「共感」を示すことが大切出るということを示し、相談内容への「共感」を表す文章を書かせる。

 いのちを考える授業 人の悩みを受け止めるために *3

「避けられない死・避けられるかもしれない死」についての学習で、悩みを抱え、苦しんでいる人がまわりにいたとき、それを受け止めてくれる人の存在が重要だということを学びました。相談をしてもすぐに問題は解決しないかもしれませんが、共感してくれる人の存在を知ることで、思いつめた気持ちを少しでも和らげる手助けにはなると思います。例文1はオウム事件で有名なジャーナリスト江川紹子さんが十代の読者からのメールでの相談に朝日新聞紙上で答えたものです。まず読んでみてください。

 なんだか最近友達が作りにくくなってきたと思う。自分でもなんでだかわからない。たぶんそれが思春期という時期なんだと思う。小学校のころは友達と騒いでいて、自分を隠していた記憶などはまったくない。でも最近の僕は自分の中身を人に知られまいと必死になって自分を隠している気がする。でもホントのところは自分でもよくわからない。

 異国に住んでいるということも僕に重くのしかかって、自分を打ち明けていけないのかもしれない。

 あーあ、昔のように友達と騒ぎたいと思うけれど、そんなことできる友達は今いない。じゃあひとりで自分の道を歩こう、なんて思っても、頭のどこかで、友達と明るく楽しく生きていきたいって言ってる。

 最近なんだか人生よくわからなくなってきた。

◆友達は「作る」より「気づく」もの 江川紹子さんから

 いかがですか。上手に答えていますね。頭ごなしになにかを言うのではなく、相手の質問に対して、まず共感を示しているのがよくわかります。人生相談の解答にならなくてもかまいません。相手に共感を示すというのはどういうことか考えながら、友達から相談された自分が、まずどんなふうに共感を示すのがよいか、考えてみてください。

 

私は自分のことをあまり好きになれません。人前に出るのが苦手であがってしまいます。高校時代、人間関係ですごくつらい思いをして、体の調子を崩してから、そうなってしまいました。

 今はそれほど充実していないけど、人間関係にも恵まれ、まあまあな日々です。

 でも私は、人と深くつきあうことや人に内面をさらけ出すことが容易にできないんじゃないかと思います。親友と呼べる人は何人かいて、その人には自分を出せますが、ズバズバものを言う人は苦手でつきあえないんです。

 言い争ったりするのもいや。人からズバッと言われたり怒られたりすると、どうしていいかわからなくなっておどおどしてしまいます。人が怖いのかも知れません。こんな自分は嫌です。前のような、人におびえることなくけんかできた自分に戻りたいです。

(以下質問4まで続くが省略)

生徒の感想例

 私はこの人の最後の文で「ひとにおびえることなくけんかできた自分に戻りたい。」というのを見て、同じだなと思いました。私は家では自分を出していて学校ではまわりの人からおとなしく見られているせいか、自分を出せなくなってしまいました。昔はこの人と同じようにけんかもよくしていたし、友達とも楽しく遊んでいたから今、私も昔と同じように自分を出すことができたらいいなと思います。でも急に自分を出すのはむずかしく、どうしてもおとなしい子のままです。どうしたら自分を出せるのか昔のように戻ることができるのかわからないけれど、この文を読んで同じようなことで悩んでいるのは私だけじゃないとわかりました。この文を読むまでは自分だけがこのことで悩んでいるだと思っていたのでうれしいような気がします。

 第10回目 現代医療の問題 1

1 病名告知のアンケートに答えさせる。

2 賛成理由、反対理由をのべさせる。

 仮に、あなたが癌あるいは癌が疑わしいと診断された場合、あなたは本当の病名を知りたいですか。

  1)知りたい  2)知りたくない  3)わからない

   どの程度知りたいですか(知りたいと答えた人に)

    1-1) 病名だけ知りたい 1-2) 病名と病状も知りたい

     1-3)病名と病状だけでなく、今後の見通しについても知りたい 

あなたの病気について知らせたい人がいますか

  1)いる  2) いない

もし、あなたの病気が癌、あるいは癌が疑わしいとして、家族、その他の人が病名を告げることに反対しているとき、あなたはどうしますか。

   1) それでも 本当の病名を知りたい 2) 家族、その他の人の意向に従う 3) その他

告知を望む理由・望まない理由について書いてください。

 

第10回目 生きている意味を考える 2

「ガン50人の勇気」柳田邦男(文春文庫)の中から末期ガンの人が最期の時間を過ごしたことについて書いた文章を読ませる。最期のときの過ごし方を考えることは生きている意味を考えることにつながる、とうことを生徒に示した上で、

病気などで余命を宣告されあたと仮定して、

        1 一年前にはどう過ごすか

        2 一週間前にはどう過ごすか

        3 一日前にはどう過ごすか

   について書かせる。今回はグループの作業ではなく個人の作業にする。

第11回目 生きている時間と生物としての時間


「死」の話から「生」の話へ移るために、「葉っぱのフレディー」レオ・バスカーリア作 童話屋刊を生徒に読み聞かせる。森繁久弥朗読のCDと、カラーコピーで拡大した絵本を紙芝居上にして見せた。その中に出てくる「いつかは死ぬさ。でもいのちは永遠に生きているのだよ。」というダニエルの言葉をきっかけにして、その意味を考えさせる。
 あの人はこういう人だった、というような人の記憶に残る永遠と、生命としての永遠の二種類があることを指摘する。

第12回目 遺伝子について考える


特に説明を加えることなく次の作業をさせる。
1 はさみとのりをあらかじめ用意させる。
2 AとT、CとG、TとA、GとCの組み合わせを書いた紙と紙テープを用意する。
3 1メートル程度に切った紙テープを二本と2で用意した紙をわたし、2の紙を切り取らせる。二本の紙テープの間にはしご状になるよう、2の紙を晴らせる。

作業終了後、遺伝子の構造や意味について書いたプリント(下記のものにゲノムについて説明した新聞記事を添付)を配布し、自分達が作ったものがなにを意味するかを説明する。

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ひとりひとりがここにいる素晴らしさを感じよう
@ 一度に3億の精子が射精される。 
A そのうちのたったひとつが卵子に到達する。→ 受精
B 精子の中にある核と卵子にある核が結びつく。
C それぞれの核が分裂して染色体になる。
D XやYの形をした染色体が23対、46本ある。Bの結果、23本は父親から、23本は母親から受け継ぐ。
E 染色体はDNA(デオキシリボ核酸)という一本のひもが折りたたまれた状態になっている。
F ほぐして延ばすと短いもので14mm、長いもので75mmになる。
G 塩基と呼ばれる物質が連なってできている。
H 塩基はアデニン(A)、グアニン(G)、チミン(T)、シトシン(C)の4種類である。 
I ひとつの細胞の中の塩基は30億個ある。文字にすると新聞30年分に相当する。
J それぞれの細胞は60兆にコピーされる。

生きている時間は短くても命は永遠(葉っぱのフレディーより)という言葉を改めてかみしめてみよう。

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第13回目 生命誕生
NHKで製作した「人体 生命誕生」のビデオを見せる。12回の授業での説明をよりリアルなものとして提供し、生殖、出産へと結びつける。

第14回目 産婦人科医による講演

第15回目 まとめ

その他。尊厳死の問題や移植医療について話題にする。特に単純素朴な善意からドナー登録を進める風潮があるが、脳死判定のことなど、さまざまな問題点があることも紹介し、反対側、賛成側、双方の意見をきちんと知った上でひとりひとりが「いのち」について考える必要性を訴える。
 また中学生の場合、「安楽」と言う言葉の誤解から、自分は安楽死がよい、などと短絡的な反応をする生徒がいるが、植物状態とはどういうことかを含め、倫理的、医学的問題点に触れて、きちんと教えるようにしたい。また困難ではあるが、キリスト教、仏教、神道、イスラム教などの「死」についての考え方にも触れ、「死」そのものの何が不安で恐ろしいのかについても話し合う必要があると思われる。

反省を兼ねたまとめ
 これまでも教科で教材によって断片的に「死」の問題を取り上げることはあっても、これほど長期にわたって体系的に取り組んだのは、はじめての体験だった。「死」について取り上げようとすると、必ず「生きていることの素晴らしさ」をもっと強調してもらいたいという声を聞く。事実、このカリキュラムを進めていく過程で、学年で話し合ったときにもそういう意見が出た。場面場面においては非常に重たく暗くなることもあったが、概して生徒たちの反応もよく、「いのち」の問題を自然に受け止めるようになっていったように思われる。
 「いのち」について学んだことですぐに「生きる力」や「やさしさ」が芽生えるわけではないが、少なくとも授業の場では、深刻な話題を「暗い」とか「ださい」という形で避けることはほとんどなかった。私自身は、その授業だけ浮いた形にならないように、学級通信などで繰り返し語りかけるなどして進めていった。四十二人という人数では困難であったが、総合学習などの場でクラスを分割できるなら、話し合いや生徒自身による作業など、もっと工夫できるかもしれない。
 また第9回目の授業の中で図らずも出てきた、現在の生徒たちの「生きにくさ」についても私たち現場の教師は、さらに認識を深めていかなければならない。その上で「人間関係を円滑に進めるためにはどうすればよいか」に関するプログラムを検討し構築する必要性を指摘して、この稿を終えたい。