5月17日 なぜ「いのちを考える」授業をするのかについて話をする。 グループに分かれて「なぜ死について考えるのか」のアンケートを取る。 5月24日 事実と意見の違いについて考える。 前回のアンケートをグループごとに集計する。 クラス全体のアンケート結果(クリックしてください) 5月31日 いのちのつながりについて考える。 12代前まで祖先をさかのぼる系図を書いてみる。 私がいるためにはどれだけのつながりが必要であったか、 私がいることでどれだけのつながりができるのか、について 実感しました。 全部書くと4096人になるわけですが、自分がここにいる ためにそれだけのつながりがあること、そして自分がここに いることで、それだけのつながりができてくることを深く考 えました。
楽しいことをいっぱいしたい。 欲しいものが買えなくなる。 家族に会えなくなる。 これからの人生がなくなってしまう。 結婚できない。子孫を残せない。 家族を悲しませてしまう。 もっといろいろなところへ行ってみたかった。 お金が使えなくなる。 死んだらどうなるか怖い。 どんな大人になるか知りたかった。 自分の未来が知りたかった。 将来の夢がかなわなくなる。 へそくりを全部使いたかった。 お母さんへの借金が返せない。 結婚。 子ども。 彼氏。 一日中遊びたかった。 大金持になりたかった。 彼氏とデートしたかった。 渋谷を歩きたかった。 ブラジルでサンバを踊りたかった。 学年トップの成績をとってみたかった。 青春をしてみたかった。 宇宙に行きたかった。 ヘリコプターに乗ってみたかった。 声優になりたかった。 外国のパーティーに行きたかった。 好きな食べ物を食べたかった。 髪を染めたかった。 お酒を飲みたかった。 ペットがどうなるか心配。 好きなことをしたかった。 子育てしてみたかった。 車の免許を取りたかった。 テレビが見られない。 ゲームができない。 成人式に出たかった。 バイトがしたかった。 身長がほしい。 カラオケで合コンがしたかった。 芸能人に会いたかった。 世界旅行に行きたかった。 男子校の文化祭に行きたかった。 就職したかった。 漫画を読みまくりたい。 いろいろな友達と遊びたい。 やりたいことをやったら静かにすごす。 寝る。 服とか靴とかほしいものを買いまくる。 エアロ・スミスに会う。 おいしいものを食べまくる。 ジャンクフードをいっぱい食べる。 グレイのヒサシとしゃべってみたい。 100歳まで生きないと意味ない。 金持ちになるまで死ねない。 東京へ行く。 嵐に会いに行く。 買い物をしまくる。 結婚してみたい。 もっと遊びたい。 思うがままにやってみたい。 アイドルに会いたい。 アルバイトをしたい。 カラオケ、幸せ、温泉、世界征服。 ルーズをはきたい。 携帯ほしい。 周りの人をぎゃふん。 バスケ全国一。 姉がほしい。 世界平和。 お酒の味を知りたい。 きれいな服を着たい。 お金の心配なく買い物をしたい。 電話ができない。 松蔭のロングコートが着れない。 プロポーズされない。 一人ぐらしできない。 同棲できない。 宝くじ当てたかった。 合コンできない。 飼い犬に子どもを生ませられない。 とんこつラーメン食べられない。 デートできない。 ギョーザ食べれない。 いっぱいお化粧してみたい。 ミニチュアダックス飼いたい。 |
Q1 あなたはだれのことを思い浮かべましたか? Q1、Q2 お母さん 体が弱いから 近所の友達 一番最初に浮かんだ おじいちゃん 一番年寄りだからなんとなく 叔父上 胃が悪いから 仲のよい友達 最近似たようなことがあったから 親戚 なんとなく お父さん 仕事の行きかえり、出張が多いから おじいちゃん 今入院している おじいちゃん 今具合が悪いから 妹 ばたばたしてよく怪我をする、一番意外な人 ひいおばあちゃん 90才過ぎているから いとこのお姉ちゃん 大好きだから おばあちゃん もう死んでもいいと言っているから お母さん 体があまり丈夫じゃないから 友人 大切な人だから お母さん 家の中で一番印象が強い お母さん 弱いから お母さん 家の中で一番必要な人でいなくなると困る お父さん 仕事が工事関係だから 家族 一番身近 おじいちゃん 会社に行かないと行けないのに行けない状態になっている おばあちゃん 今入院している お母さん 体が弱い お母さん 一番自分のことをわかってくれている人だから お兄ちゃん 回りに注意してなさそう、交通事故にあいそう お母さん 一番たよりにしているし、好きだから死んでほしくない気持ちが強い お母さん ふだんから死にそう お母さん 一番いなくなったら悲しい お母さん 一番元気で死から遠い お父さん 煙草を吸っている ひいおばあちゃん 寝たきりだから おじいちゃん、おばあちゃん おもしろくてやさしい Q3 言葉が出ない 「・・・は!?」 ウッソー 「はぁ・・・?」 えっ・・ウソォ ・・・? えっ!? うそやー えぇ!? はぁ?!何言ってんの 本当ですか 信じられない ぜったいうそ(以下同種の答え多数) Q3からあとのものについて見ると次回に触れる予定の悲嘆のプロセスを無意識のうちにきちんとなぞっていることがわかりました。 |
プライバシーに触れそうなこところや、わかりにくいところなど、少し文章を変えてあるものもあります。 死に別れた人の悲しみ感想 |
いのちを考える授業 00/11/8実施 今回は「悩んでいる人に共感する」というテーマでした。いろいろな意見がありました。胸がつまりそうになるものもたくさんあります。新聞に投書をした人たちだけではなく、私たちみんなにとって対人関係が難しいのは、私たちの心が相手の立場に立つことを苦手にしているからです。「自分を理解して欲しい」と思う気持ちの半分程度でも使って、「相手を理解」しようとすれば、共感につながっていくのだと思います。だらが書いたのだろうというような詮索はいっさい無用です。それぞれの人がいろいろな思いを秘めて日々を過ごしていることを理解し、ここに書いてあるひと言ひと言を噛みしめ、「私ならこうする」とか「こうするべきだ」というような非難や批判や批評をいっさいせず、あるがままの「隣人」の気持ちに耳を傾けてみましょう。共感はそこからはじまります。まわりにいる「隣人」が「生きにくい」と感じている気持ちは明日のあなた自身の気持ちであり、あなた自身の明日の姿でもあるのだと思います。 質問1 人と違うことに悩む男子高校生への共感 私も時々、駅などで違う学校の人でも、みんながそうだからと流行の言葉を使って友達の輪に入っている人を、たくさん見かけます。私もその時、流行しているものを持っていなかった時期とかあって、芸能人とかもあまり知らなくて、話に付いて行けない時、自分の言いたいことを言うと、孤立しそうになりました。友達を見かけると、自分が言いたいことを言っても話が合うようになりました。 私にとって悩みはくだらないものです。自分自身が悩んでも自分が行動しなければ何も解決できない。悩んでいる間にも楽しく過ごしている他人はたくさんいると思う。自分だけを信じていればいい道が見つかるかもしれない。 私は別にこの人のように感性とか考えたことがないけど、たしかに自分の考えを表現すると孤立するというのはわかる気がする。私は人と同じ考えを持つのはいやだし、人に合わせた考えを持たないとできない友達っていうのは、友達じゃないと思う。私の周りには、そんな子いないからよかった。人と同じ考えを持っていたら、自分の個性がなくておもしろくない世界になると思った。 自分もかつて人間関係が悪く、いつもひとりでした。今の学校は一緒に登下校する友達もいなく「もうひとりでいいや」と思い、すさんでいました。だけど行事ごとにいつも残り、胸が苦しかった。だから勇気を出して今の友達に話しかけ、気が合って話している。だけど最近「ひとりでいる方が楽だな」と思うことがある。だけどまたひとりぼっちはいやだと思い、一緒にいる。友人の中で本当に大切というのはごくわずか。最近は学校に行くのさえ、疲れる。授業中でもうるさくて迷惑。家にいる方が勉強はかどると思う。そういうのにもつきあわなければいけないのはとてもいやだと思う。 質問2 女子グループが怖い女子高生への共感 私も友達は数じゃないとは思う。でもやっぱりどこかのグループに入っていないと不安というのはある。私には友達と呼べる人はたくさんいるけど、親友と呼べるのは5人くらいです。私は部活に入っているのは結構いいと思います。クラスの友達はクラスがえしたらそれっきりということもあるかもしれないけれど、部活の友達ならクラスがえと関係なしでいられるからです。 私も友達は数じゃなく中身だと思います。本当に気が合ってなんでも言える友達は数じゃないんですよね。私はもとからグループの中にいるタイプではなく、ふたりか少数でいる方です。数はグループの方が多いかもしれないけど、気を楽にできてしゃべれる友達がひとりいるだけでも、かない気が楽になるんじゃないかと思います。 グループの中にいたら安心かもしれないけど、グループだといざふたり組とかなるとどうなるかわかんないし。グループの中でもやっぱ仲が特にイイ子とか作った方がいいかも。でも数人でも仲良くできる本当の友達がいるのなら、それでいのでは?無理に付き合う10人より楽に付き合える5人の方が私も大切だと思います。 私にも同じような経験があります。急にみんなの中からはハミりだしたりして、今はいろいろなところをうろうろしています。登校するときの友達、食べるときの友達、ぜんぶちがいます。先生はあとになってからしか気づきません。よくわからないけどがんばってください。 毎日、相手の顔色ばかりうかがっていたら、きっと毎日が楽しくないと思います。だから友達と呼べる人が少なくてもお互いに分かり合えて、一生つきあっていえるような友達を作っていけばいいと思います。人もやっぱり中身が大切ですね。 グループは本当に怖い。その子がいるときは笑っていて、かげでは悪口は日常やし、シカトとか流しとか、キライな子やったらしてしまうと思う。結局その子が自分と合わないからそばにいてもおもしろくない、時々むかつくからシカトとかイジメになると思う。それにいやな子とかがグループを抜けても、その人たちはなにも言わないと思う。そばにいるからムカツクだけで、いなくなればなんにもないから、だから気が合う友達をさがせばいいと思う。 私は体験したことないけど、この人の言うことすごーくようわかります。女子のグループって本当に怖いと思う。かげでなにを言っているかわからないし。ちょっと気に入らなかったら、みんなでムシしてグループから出したり。すごい身近に感じました。 1年のときはクラスのほとんどの人と仲がよくて、すごく毎日が楽しかったです。でも今は友達が少ないです。少ないのが悪いという考えが少しあります。前にそういうことと同じことをされて、今のグループになってよかったです。今はすごく楽しいのではみられてよかったです。 私は小学校六年まで友達の顔色をうかがって、自分の意見は言えませんでした。何々ちゃんがするんだったらする、っていう感じで私は自分がどうしたいのか言いませんでした。でも今も少しそういうのが残っていて、どうしてもだれにでもいい顔をするところがあります。そうしたらグループから抜けたあと楽だから。今も正直に言うと、今の友達も裏で絶対に自分の悪口をを言っていると思ってしまいます。こんな自分はいやだけど、なかなかなおりません。主学校のときは別に卒業式まで仲良くしてたらいいわ、という感じでした。別に親友もほしくない。とりあえずは一緒にいる友達がいればいい。でも今は前よりよい仲間ができて結構楽しい。 私も同じような経験があるので、わかります。中1のときは友達がいなかったから、ちょっとさびしくなったりしました。でもそのうちいろいろ話したりできる友達ができたからとても楽しいです。 私にも同じことがありました。向こうは自分の話を聞いてもらわないと怒るのに、私が話すと無視する。ぜんぜんおもしろくありません。ただ一緒にいるだけ、話すこともなくどんどん無口になり、「もう、いや」となってグループを抜けました。でも今はクラブでもクラスでもすごく落ち着く友達ができたので、楽しいです。 私はそんなに大勢のグループではなく、小人数の友達がよい。友達はまわりにいるけれど、その人たちとグループになるのではなく、ずばずば言い合える友達と一緒にいます。グループだと気を使ったりしないといけないので疲れるから、私は信頼できる友達と一緒にいます。 ずばずば言える友達は少数でよいと思う。私の場合、悪口を言われてもあまり気にしないのでよくわからないけれど、とりあえず嫌なところも認め合えるのが友達だと思います。まあ、ぼーっとしていればなにを言われても気にならないよ。気にしなければ楽だけど、悪口言われた内容のこともよく考えなければいけないと思う。 友達は結構いるけど、ずばずば本当のことを言えるのは小人数。でも自分はそれでいいし、毎日楽しい。会ったときあいさつしたりするだけでもいいと思うし、全員心を許せなくてもいいと思う。信頼できる友達は少しだから親友という言葉があると思います。 私はそういう経験はあまりないけれど、ちゃんと自分に合う友達と呼べる人はいます。その人もちゃんと友達呼べる人ができてよかったと思います。これから相手の顔色をうかがうことなく。自分の意志ですごしたらいいと思います。 私も小学校のとき、友達はたくさんいたほうがいいと思っていました。いつも相手の顔色をうかがったり自分が嫌われないように発言に注意していて、とても疲れてしまいました。だから本当に友達と呼べる人は少なかったです。卒業式でもぜんぜん悲しくなかった。でも中学に入って言いたいことをなんでも言い合える友達ができました。 私も一度そういうことがありました。気の合う友達が数人しかいなくてもいいと思います。親友がいることがいいと思う。中身で友達って変わります。外見はよくても中身がいやな子は、私だったらブリッコみたいでむかつきます。友達は少なく、中身が大切だと思います。 私も友達は多いほうがよいと思っていた。だけど本当の友達というのは、お互いが分かり合っていないといけないと思う。友達といえる人が数人しかいなくてもいいと思う。でも友達を大切にしてほしいと思った。 作り笑いなんかしなくてもいいと思う。そんなことをしても自分が苦労するだけ。そういうことをするから無視されたりするのではないかな。まあそのグループから抜けたからいいけど。だからこれからはいやなときとか、おもしろくないときはちゃんと言って、自分に正直になったほうがよいと思う。 私もたまにグループがいやになることがあるから、この人の気持ちがわかる。だからこの人に気の合う友達ができてよかったと思う。 やっぱり友達はなんでも話せる人がいいと思う。自分が話すことにイヤミを言う友達よりも「ウンウン」とちゃんと聞いてくれる友達がよい。もし自分のグループに毎日顔を合わせて自分が話すたびにイヤミを言われたり気の合わない子がいたら私ならはなれていくと思う。ずっとそこにいて人の顔色を見ておせじばかり毎日言わなければならない友達なら、私はいらない。この話を聞いて自分が話していることに注意しなければならないと思った。 やっぱりグループの中にいると話を合わせてしまう。でも、まあ、いっしょにいて楽しいこともいっぱいあるから、それはそれでいいんじゃないって思います。案外、軽い性格だからかもしれないけれど。 私は今たくさん友達がいますが、本当の友達と呼べる人は3人です。この3人といると素直にものを言えるし、気を使わないし落ち着くし、おもしろいし、この3人といると本当の自分になれます。やはり友達は人数ではなくて中身です。同感。 私も友達は中身が大切だと思います。だっていくらたくさんの友達がいても、その中に気軽に相談できる相手がいないと意味がないと思います。私も時々、人に合わせて作り笑いなどしてしまいます。作り笑いは精神的にもつらいと思います。私は小学校のころずっとひとりでいました。その時は「友達なんていらん」と思っていましたが、やっぱり友達がいないと相談相手もいなくてつらいと思います。数じゃなくて中身の合う友達をいっぱい作ったほうがいいと思います。 私も同じようなことをしている。今一緒にいる友達が本当の友達なのか不安になることがある。グループが奇数じゃなくて偶数なので少し安心できたりする。相手の言っていることがまちがっていると思っても、相手の意見にあわせるようになっている。グループからはずされたり、グループがばらばらになることが怖い。なぜなら自分は弱くてひとりでは生きられないような気がするから。自分をきらっている人をとても怖く思う。その人から逃れようとする。その方法を考えようとする。そして考えたのは「人に合わせること」、「人にやさしくすること」、「目立たないようにすること」です。 友達と呼んでいてもその人の悪口を言ったりするのはクラスの中にもいると思います。作り笑い、人の顔色を見て話すというのは、私もたまにあります。「嫌われているんじゃないか」と思うことはよくあり、友達に話すうちに緊張したり。気の合う友達がいる場合、そういうことはないけど、やっぱり女ばかりの学校がたまに怖いときがある。昔の自分のほうがいいと思うかもしれないけれど、今の自分にもいいところはあると思います。それを隠さずにいられる自分になれたらいいなと思います。 質問3 自分に自信のない看護学校生徒 私は以前すごく太っていました。その時はこの人と同じことを思っていました。ひどいあだ名をつけられて本当にいやでした。でもちょっとやせるとかわいくなると思います。私の場合はおやつを抜いたりウォーキングをしたりしてやせることができました。この人は全然努力をしていないと思います。この人だって結婚したくなるときがくるからきれいごとばかり言ってないで自分から努力してみればいいと思います。がんばってやせたらまわりの人の視線も変わると思います。がんばってください。 別に自分が好きなように生きたらよいと思います。合コンしたくないならしなくていいし。別にころころしてたらかわいくないって決まってないし、外見で劣等感を持っているなら性格で勝ったらいいんじゃないですか。自分は自分じゃないでしょうか。他人に気に入られようとばっかり思っていたら疲れるだけです。 人は人、自分は自分だから自分を好きになれないことはしかたないと思う。 質問4 人前に出るのが苦手な短大生 私はこの人とはまったく反対です。この人はずばっと言うのがいやって言うけど、陰口はいいんですか。私はずばっと面と向かって言ってくれたほうが、自分のどこが悪かったかわかります。言い争うのがいやだったら一生仲直りなんてできないと思います。でも昔は私と同じような人だったんですね。前のような自分に戻れたらいいですね。この文はあんまり共感できなかった。 私は前に友達と思っていた人がいました。けれど病気で2日ほど学校を休んでしまったんです。学校に出てきてから話しかけても無視をされて、クラスの友達がいなくなってしまいました。友達はほかのクラスにいて、移動教室はいつもひとりで行っています。話しかけるのは簡単だけど、そのグループの中に入っていけないのです。裏切られるのが怖くて。だからクラスが離れてしまうと休み時間はひとりになったりグループ行動はいっしょにする人がいなかったり、さびしいと思いたくないから他のクラスへ遊びに行ったりしています。 私は自分のことをあまり好きになれない、というところは私も一緒です。自分が好きと言える人はそんなにいるとは思いません。世界中で自分一人がそういう考えをしているなんてありえないんです。それに今の自分がきらいなら、まずきらいから普通になるまでのきっかえを探すべきです。そして人前にいるのが苦手でも、勇気をもって話しかけたりしてみるんです。そうして経験をつんでいくうちに、心は強くなっていきます。小さな魚をこわがっている人が、川とか海とかを泳いでたくさんの生物を見たらどうでしょう。それと一緒です。 私はこの人の最後の文で「ひとにおびえることなくけんかできた自分に戻りたい」というのを見て、同じだなと思いました。私は家では自分を出せなくなってしまいました。昔はこの人と同じようにけんかもよくしていたし、友達とも楽しく遊んでいたから今、私も昔と同じように自分を出すことができたらいいなと思います。でも急に自分を出すのはむずかしく、どうしてもおとなしい子のままです。どうしたら自分を出せるのか、昔のように戻れるのかわからないけれど、この文を読んで同じようなことで悩んでいるのは私だけじゃないとわかりました。この文を読むまでは自分だけが悩んでいるのだと思っていたので、うれしいような気がします。 |
生と死をとりまく現代医療 病名告知
その中に必ず、数名の「わからない」とだけ書いたものがありました。入り口のところから1歩も中に入ろうとしない「わからない」は大変問題です。考えたすえの「わからない」という結果に至ったのなら、なぜわからないという結果に至ったのかを書くべきです。これからの社会で求められているのは、学料成績だけではなく、「自分の意見」を持ち、「自分で判断」し、「自分の考え」を表明する力です。それがまさに新しい時代を「生きる力」でもあります。 1年生の時の3分間スピーチも、今年の「いのちを考える」授業も、基本的にはこの「生きる力」を養う試みであったと思います。いろいろな場面で責任を持った行動をとれるよき市民になってもらいたいと心から願っています。 告知を望む理由
望まない理由
わからない理由
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「死」の話から「生」の話へ移るために、「葉っぱのフレディー」レオ・バスカーリア作 童話屋刊を生徒に読み聞かせる。森繁久弥朗読のCDと、カラーコピーで拡大した絵本を紙芝居上にして見せた。その中に出てくる「いつかは死ぬさ。でもいのちは永遠に生きているのだよ。」というダニエルの言葉をきっかけにして、その意味を考えさせる。 あの人はこういう人だった、というような人の記憶に残る永遠と、生命としての永遠の二種類があることを指摘する。 |