仮設が無くなってそれから、神戸からの報告
西宮市に残っていた仮設がとうとう撤去されたそうだ。
王子公園陸上競技場のサブトラックにあった仮設も、少し前になくなった。
跡地は前のようにサブトラックに戻すのかどうか、よく知らない。
動物園にパンダが来るとかで、仮設住宅の前の道に白い駐車スペースの線
が引かれ、駐車場が増えた。まさかパンダのために早く仮設をなくしたわ
けではないだろうが、仮設が無くなると、いよいよ震災のツメ跡が目だた
なくなってきた。復興しつつあるという意味ならよいことなのだが、単に
見えなくなったというだけなら、これは大変な問題だ。
日の丸と君が代が国歌になって、案の定、教育現場ではやらないと言って
いたはずのおしつけが、あちこちであった。
なにかの終わりで、なにかのはじまりでなければよいがと思うのは私だけ
ではあるまい。
ワールドカップやオリンピックと一緒くたにされてなにかが見えなくなっ
ってしまうようでは困る。
目の前で起こっていることを、はっきりと見ようとしないことに慣れはじ
めている私たちが、目の前から隠されたことを忘れようとしている現実を
だれが非難できよう。
震災はある意味でお祭りだった。
隠れていたものが跳んで跳ねて浮かんで浮揚した。
パンダも祭りであるかもしれないが、たかだか巨大なぬいぐるみごときに
すり替えられたのであれば、六千数百の死者もうかばれまい。
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