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ちょうど一年です、神戸からの報告

96/1/15
 十四、十五と連休だった。去年は十五、十六が連休で、その翌日震災が起こった。今では二十秒の揺れと言うことになっているが、正確なところはどうなのか、少なくとも私には永遠に終わらないのではないかと思えるほど長く感じられた。そのわずか二十秒ほどの揺れが神戸とその周辺を一変させた。
 震災一年と言うことで、テレビやラジオ、新聞では特集が組まれている。兵庫県南部への注目の仕方がこの日を境に急速にしぼんでいくのは間違いのないことだ。十七日の記念日をもって、無事にマスコミの喉元を通り過ぎて行き、敗戦や原爆(戦争と自然災害は全く別のもので、自然に比べ、人間のしたことの方がずっと残酷で、ずっと悪意に満ちている)と同じ記念日的行事になっていき、政府の対応もでるだけのことはやったに変わって行くに違いない。
最初、神戸からの報告をはじめた時、一年も続けるつもりはなかった。二月の終わりに一旦やめるつもりでいたのが、ASAHIネットで読んでくださっていた方々の励ましもあり、三月に入ってしばらくして再開し、私の書くものにいかほどの意味があるのかわからぬが、とにもかくにも一年間続けてきた。そして、いつの頃からか、一月十七日の記念日が潮時かという気持ちになりかけていた。
テレビでも平気で、震災を取り上げても視聴率がとれなくなってきたというようなことを言っている。読まれることを期待し、大勢に読まれることでのみ成立しているとすれば、インターネット上でやっている個人の試みもマスメディアのあり方と同じになってしまうかもしれない。おそらくはテレビや新聞で今度大々的に取り上げられるときが来るとすれば、今世紀の終わり、二十世紀の日本を振り返る特集番組の中でということになるのだろう。
「義理」という言い方をすればおかしいかもしれないが、神戸とその周辺で六千人を越す犠牲者が出たそのことに対する「義理」を果たそうとしていて、一周忌が終わればそれで「義理」も完了というのではいけない。ふだんの生活の中で、町で出会う者同志、震災の話題に触れなくなる日が来るまでは、震災の傷は癒えたことにはならないのだろう。雲仙にしても奥尻にしても、今ではほとんど全くメディアに取り上げられなくなっているが、完全にすべてが元に戻り、そこに住む人が癒されたわけではないはずだ。

96/1/17
 午前六時に目が覚める。昨夜から吐き気と下痢、流感かもしれない。長女の症状はもっとひどく、夜中に何度も吐いていた。昨夜、しんどいので八時半くらいには床についた。それからしばらくして子供部屋を見に行き、タンスの位置はどうだったろう、本棚はどうだったろうとつい見に行ってしまった。そして再び床に着く前に、妻に今夜は風呂の水はぬくなと言っておいた。病気の時に味わったのと同じ記念日症候群とというのはわかっているが、それでも一年に一度、防災の気持ちを思い出すのは必要なことだ。
 起きてすぐに犬の散歩に行く。飼い主の私が下痢ぎみのために、犬に糞と小便をさせるとすぐに戻ってくる。五時四十六分から三十分経過しているが、空はまだ暗い。南東の雲が薄赤く染まりはじめたのは、さらに十分ほど経過してからだ。あの日はすでに煙が見えていた。あの日はもっと雲が少なかった。
 妻が風呂の水をくみ、洗濯をはじめようとしている。今日は長女と私がおそらくは流感である以外は、ごくふつうの朝がはじまろうとしている。吐き気がしてきた。もう一度横になることにする。今朝はなにがなんでも神戸からの報告の書き込みをしなければならないのだ。
 今からインターネットでの防災訓練というものに参加して、生存確認のメールを送り、寝ることにする。

96/1/17-2  病院への行き帰り、車から何度もバイクに乗った僧侶の姿を目にした。二日ほど前、妻は短大の同級生のところへ一周忌のお参りに行った。東灘区深江の辺りで家は全壊し、両親は助かったが一人娘であった同級生は即死。仮設住宅の祭壇には、晴れ着姿の写真があった。アルバムのたぐいはすべて失い、遺影にするものもなく困っていたところ、かつて、成人式のおりに記念写真を写した写真館で奇跡的に二十年近く前のフィルムが保存されていて、それを焼き付けてもらったそうだ。
震災直後、どんどんと遺体が運び込まれ、その始末をしてくれる人はなく、役所が組立式の棺桶を用意して配り、自分たちで釘を打ち、組立て、装束を着替えさせ、同じく配られたドライアイスを、これまた自分の手でつめた。  検死の医者は、昼間は身動きがとれず、夜になってから、停電で真っ暗な安置所に懐中電灯を持ってやってきて、次々に確認し、死亡診断書を書いていったという。
 少し吐き気がおさまってきて、昼食にお粥を食べ、今パソコンに向かっている。さっき、学校に出かけている次女三女の枕もとを見ると、小さなナップサックがあって、コアラのマーチというお菓子と、お茶の入った水筒、それに下着が何枚か詰め込まれていた。犬のために、いつもくわえて遊んでいるぬいぐるみも入っていた。窓からヘリコプターが飛ぶ音が聞こえる。取材のためのフライトなのだろう。
 一年前、今日と同じように下痢などしていたらどうなっていたか、などとふと考え、ウオッシュレットをふんだんに使えるしあわせをかみしめつつ、もう一度休むことにする。

96/1/18
 「神戸からの報告」の一回目を朝日ネットに発信したのは、ちょうど一年前の十八日であった。十七日の夕方になって電気は回復し、電話はもう少し早かったが、着信だけで発信はほとんどだめだった。十八日になって、神戸のアクセスポイントにつなごうとしたがやはりだめで、大阪であったか新大阪であったか姫路であったか、どこか忘れたがあちこち番号を変えるうちに、とにかくつながり、十七日の午前中にパワーブックに書きはじめていたメッセージをすぐ送信した。であるから、私の「神戸からの報告」にとって、今日が一周年ということになる。
 昨日、一年目ということもあり、新聞でもラジオでもテレビでも様々な特集がくまれ、ちょっと前までの論調と微妙に違っているのが気になった。半年を過ぎたあたりから「復興すすむ神戸」という捉え方であったものが、震災記念日前になると、「復興」の「ふ」の字もないというような調子に変わった。仮設住宅というものがなくなるまでは、少なくとも震災が終わったとは言えないのは前からわかっていることだが、それにしても新聞やテレビの論調で「復興の度合い」が変わっていくとすると問題であり、その報道がいっこうに政府の政策に反映されないときては、情けないのを通り越して腹が立つ。
 予算折衝をするあたりを見越して、「復興すすむ」として、予算が計上し終わってから、「復興」の「ふ」の字もないというふうに現状を認識し、世論を操作したのではないかと思いたくなる。義援金についても、当初は被災者に均等に割り振られていたようだが、今現在どうなっているのか、受け取った義援金の収支決算(もっともそんなものを出す義務はないのだろう)がないからわからない。
 多くの人が指摘していることだが、地震によって得られたものが、不特定多数による義援金という善意とボランティアだけであったというのなら、政府なんていらないではないかと思いたくなる。
 インターネットの防災訓練というのに参加した。ただ決められた書式を、決められたアドレスにメールを送ることで獲得して、それに必要事項を書き込んで生存の確認の書類を送信するのだが、一年前を振り返って、そのような悠長なことが可能であったか、おおいに疑問である。
 パソコン通信が今現在の日本でネットワークの中心であるのなら、パソコン通信のメニュー画面に、決められた書式の所在を知らせる場所があり、そこからメニュー上で送信できる方法を確立させておかなければ役に立たないに違いない。インターネットをコンスタントに利用している人というのは、パソコン通信を使っている人のごく一部に過ぎない。
 私が参加したのはWIDEというところがやっているものだが、インターネット・ウエイヴなどの集会で、奈良先端技術大学の先生から、死亡リストではなく、生存者リストの必要性と、その情報の収集の困難さ、信憑性の確保の問題などが指摘されていて、その通りだと思ったが、通常のパソコンユーザーにとっては、まだインターネットの敷居は高く、商用のパソコン通信が果たすべき役割は、多いのではないだろうか。
 この試みが多数の人に認知され、実際の災害において活用されるとするなら、かなり役に立つとは思うが、越えなければいけない問題は山積みだ。

 ちなみに書式は以下のようなものであった。
---------------------------------------------------------------------
# [登録フォーム]
# このフォームに情報を記入後
# touroku@iaa.wide.ad.jp
# 宛に送ってください。
#
# 行頭に引用による文字(例えば、'>'など)が付いていても受け付けられま
# す。ただし、'(' '(' '#' '#' の4つ文字は含んではいけません。
#
# (登録内容の入力について)
# - 情報は (項目名) の後ろに記入してください。
# - *印がついている項目は必ず記入してください。
#
# (注意) 生存者情報データベースに登録された情報は、問い合わせによっ
# て他人に知られることがあります。あらかじめ御承知ください。
#
#-----以下を切り取って送って下さい-----------------------------------
#
# 対象者の姓を記入してください。この項目は必須です。
# 例:(*姓)山田
(*姓)
# 対象者の名前を記入してください。
# 例:(名)太郎
(名)
# 姓の読みがなを記入してください (平仮名/カタカナ/ローマ字)。
# 例:(姓の読み)やまだ
(姓の読み)
# 名の読みがなを記入してください (平仮名/カタカナ/ローマ字)。
# 例:(名の読み)たろう
(名の読み)
# 対象者の通称(あだな, Mail Address, パソコン通信ハンドル名等) を記
# 入してください(複数指定可)。
# 複数個のデータを入力する場合は、(項目名)と入力データが1対
# 1になるように入力してください。
# 例:
# (通称)nickname@XXXX.co.jp
# (通称)あだな
(通称)
# 対象者の年齢を記入してください(範囲指定可)。
# 例:(年齢)20-35 (25〜30歳の場合)
# 例:(年齢)70- (70歳以上)
(年齢)
# 対象者の性別を記入してください(男性/女性やM/Fと記入してください)。
# 例:(性別)M
(性別)
# 対象者の現住所を記入してください。
# (注意) 今回の訓練では絶対に番地以下は入力しないようにしてくだ
# さい。これは、名前などの情報と正確な住所が把握できるこ
# とで思わぬことに利用されないためです。
# 例) (現住所)東京都新宿区下落合
(現住所)
# 対象者の現住所の郵便番号を記入してください。
(郵便番号)
# 対象者の勤務先や学校などの所属を記入してください。
(所属)
# 対象者の状況を記入してください(今回は訓練開始時に、起きていた/寝てい
# た/未確認 あるいは、 wakeup/sleep/unknown と記入してください)。
# 例) (*状況)wakeup
(*状況)
# 確認方法を記入してください。
# (本人/直接/伝聞(出所)/その他 のどれかで記入してください)。
(*確認方法)
# 上記の項目「状況」を確認した日時を記入してください。
# "西暦/月/日 時刻"と記入してください。
# 例)(状況確認日時) 1996/01/17 23:00
(状況確認日時)
# 情報の登録作業を行った人の名前、または、対象者との関係を記入してく
# ださい。関係とは、例えば、「本人」、「妻」、「子供」などです。
# 例:(*発信者) 山田 陽子
# 例:(*発信者) 妻
(*発信者)
# 情報の登録作業をどこから行ったかを記入してください。
(発信場所)
# 有用と考えられる情報を自由に記入してください。
(備考)
# 今回の訓練に対してのご意見、ご感想を自由に記入してください。
(ご意見)
# 以上


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