少年の頃:
子供の頃は京都市に住んでおり、小学校高学年〜中学生のころ、近くを流れる桂川に仲間たちと
よく出かけ、ハイジャコ(ハエ、オイカワ、ヤマベ)釣りなどをして遊びました。今はもう川も汚くなってし
まいましたが、その頃は川の水が飲めるぐらいきれいだったものです。当時は川が子供達のいい遊び
場でした。
高校生になってからはなぜか川から足が遠のき、渓流釣りを始めるまでは殆ど釣りをしませんでし
た。しかし、この子供の頃のこのハイジャコ釣りの記憶が心のどこかに残っていて、後年になって渓流
釣りを始めることになったようです。
’89年:渓流釣り事始め
この頃は例年5月の連休に信州の乗鞍高原へスキーに行っていましたが、この年に初めて渓流釣
りに挑戦し、高原を流れる川で小さなイワナを3尾釣り上げました。このときのイワナには、川にもこん
なにきれいな魚がいるのかという強烈な印象を受けました。
帰宅してしばらくしたころ、NHKテレビで京都北部にある京都大学芦生演習林(関西の自然愛好
家には有名なところです)を紹介する番組をやっており、その中でリポーターの天野礼子さんがヤマメ
を釣り上げていました。これを見て、結構身近なところにも渓流魚がいることを知り、早速竿を持って
出かけてみました。その日は幸い雨が降っており、初心者にもかかわらず数匹のヤマメを釣り上げる
ことができました。このときは魚を釣る面白さに加えて、その環境のすばらしさにも魅入られてしまいま
した。
この年は結局芦生演習林に数度通い、渓流釣り(エサ釣り)の基本を身に付けました。
’90年:毛鉤で最初の1尾を釣る
この年から釣行先に奈良県の十津川を加え、頻繁に川へ通いました。すでに本で知っていたテン
カラの道具も準備しており、常にそれを持って川へ入っていました。毛鉤は自分で巻き、テーパーライ
ンも自作しておりました。しかし、なかなかテンカラの出番はありませんでした。
夏の終わり頃のカンカン照りのある日、早朝からエサで釣っていて殆ど釣果もなく午後になり、もう
エサでは絶対に釣れないだろうというときになって初めてテンカラの出番がやってきました。流れに木
の被さった絶好のポイントで、1m程の提灯仕掛けに毛鉤を結んで水面をスーと引いてみると、バシャ
ッとアマゴが飛び出して水中に潜りました。毛鉤は合わせが難しいと本で読んでいたので、まさか鉤掛
かりはしないだろうと思いながらも竿をしゃくってみると見事に掛かっており、それが毛鉤第1号となり
ました。この日はすぐ上手のポイントでももう1尾掛け、毛鉤の威力に目を見張りました。
’91〜’96年:エサ釣りからテンカラへの移行期間
テンカラを始めて最大の難関は何かというと、テンカラで釣り続けることです。テンカラで少し釣れな
いとすぐにエサ竿に手が伸びてしまいます。
この期間はテンカラでの実績を積み上げながら、だんだんとテンカラに対する信頼を高めていった
時期でした。最後の方は半分ぐらいはテンカラで釣行していました。しかし、ここ一番という時にはやは
りエサ竿に手が出、テンカラを完全には信頼しきれておりませんでした。
’97年:テンカラに転向
数年間エサ釣りとテンカラとをチャンポンにしていましたが、この年にいよいよエサ釣りを捨ててテ
ンカラに転向するきっかけがありました。この頃は、それまで長年続けていたエサ釣りでも期待したほ
どには釣れないことに欲求不満がつのっていました。「エサ釣りでもたいして釣れない、どうせそれほ
ど釣れないのならテンカラででも釣るか」という風に考えるようになったことです。テンカラに対する信頼
が増したというよりも、エサ釣りに対する諦めがテンカラへの転向を決定付けました。
それとこの年、京都北山テンカラ会の冨士弘道さんにお願いして同会の井上幹也さんと共に、二
日間にわたってテンカラを教えていただくことができました。それまでは振り込みも毛鉤の流し方も、本
で読んだ知識をベースに完全に自己流でやっていたのですが、お二人の釣りを見てテンカラを本格的
に追求したいと思うようになりました。冨士さんは私の目の前で次々とアマゴやイワナを掛けられて、
本物のテンカラはほんとに見事でした。
その後、今日に到るまでテンカラを続けてきましたが、飽きることもなく続いております。
’03年:播磨テンカラ会に入会
6月のある日インターネットで 「播磨テンカラ会」なるものが存在し、中年のオジサン達が集まって何
やら楽しそうな事をしているのを知りました。私にも数人の釣友がおりましたが、その多くが大阪方面
に住んでいるという地理的なこともあって、三田市へ引っ越してからは一人で釣行することが多くなっ
ていました。魚を相手に遊ぶのも面白いのですが、何かしら物足りなさも感じていましたので早速連絡
を取り仲間に加えてもらいました。それ以来、「釣りを楽しむ」ではなく「釣りで楽しむ」をモットーに会員
諸氏との交流が続いています。
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