灘蓮照 九段 | ||
徳島県南部に日和佐という海と山に挟まれた田舎町がある。この町は、四国88ヶ所23番目 の札所である薬王寺と海亀の産卵地として一部では有名なところ。この町に大工町という 地区がありそこで父は生まれ育ったらしい。私(生まれは神戸:記憶にないけど)もここ で小学1年生までをすごした。斜め向かいに灘酒店という酒屋が有ったのを覚えている。 父は子供の頃、灘酒店の子より強かったらしい・・・。灘酒店の主人は、息子を自転車の 荷台に乗せ、50銭玉を片手に周辺の将棋自慢達を訪ね回り、将棋の勝負をさせていたそう だ。その子が後に灘蓮照九段となったそうである。しかし、棋力が私とちょぼちょぼの父 がいくら小さい頃とはいえ、灘少年より強かったとは思えない。よくよく聞いてみると、 将棋ではなく、喧嘩だったとのこと。当たり前だぁ、子供で2〜3歳違うと喧嘩にならな いよーー。 父も故人となって十数年、あの世で灘九段と勝負してるのかな? 神崎七段(当時六段)のHP開設間もない頃、そこで故灘九段の甥っ子の方の書き込 みを一度見かけた。その方には「少年」とか「少年画報」等よく漫画を見せてもらった記 憶があり懐かしく思い出した。 |
小野五平 第12世名人 | ||
脇町は、徳島県西部にある。この町は山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」の舞台となっ たオデオン座こと脇町劇場があった。またその頃から、うだつの町並みを売り物として町 おこしをしているが、私がここにいた頃(小、中学生時代合計8年)は、うだつの町並み って裏通りの寂れたところでり、脇町劇場は田舎の汚い映画館でしかなかった。 中学生の頃、友人数人でゲーム(将棋、囲碁、チェス等)遊びに熱中した時期もあった。 囲碁やチェスは百科事典を見てルールを確認するという怪しいものであったけど。 しかし、この町が第12世名人小野五平の出生地らしい。墓碑のある安楽寺は自宅から近 くで、よく蝉取りをしたところでもある。当時は 「棋道名人 小野五平翁の碑」なんてあったかなぁ? |
小林健二 八段(現九段) | ||
高松の生活にも慣れて、近所を散歩していると、将棋棋士 小林健二 と表札の掛かっ た家があった。あれ?コバケンって大阪じゃなかったのかなぁ。と思った。後日、いつ もの将棋クラブに行き、その話をすると、なんと、全員が知り合いだと。何のことはな い、実家だった。アマチュア時代コバケンはここの将棋クラブに通っていたらしい。そ こから、今は無き故板谷8段に縁があり弟子入りしたそうである。彼は、高松に帰省す るたびに将棋クラブに顔を出していた。おかげさまで何度か、教えていただくことも出 来た。 こんな話を妹の結婚式の時話していると、大阪に住んでいる叔母が、『あれ、あんた健 ちゃん知らんかったん?ほら、○○子ちゃんの婿さんやないの!』と、叔母の姪の名前 を言った。『結婚するとき、二人とも若すぎるからどうかとも思ったけどなぁ。』 とも付け加えた。従弟の従姉のご亭主(父の妹の夫の兄の娘の夫)がコバケンだった。 高松で八段昇段祝賀会が行われたとき、この話をさせていただきました。 この後、NHKの将棋講座で講師を担当されていた。最終回は、喫茶店ドンのママさん (水上靖子元準アマ女流名人)と二枚落ちで対局した。ママさんは、中飛車党で二枚落 ちも当然のように銀多伝の使い手だった。しかし、中盤でミスがあり惜しかったなぁ、 と観ていると、終盤鬼のような手を連発して一気に寄せてしまった。さすがは、ママさ ん、剛腕ぶりを発揮した。コバケン八段もママさんには頭が上がらないよね。 |
伊奈祐介 四段 | ||
単身赴任が多くなり休日ぐらいしかドンに行かれなくなった頃のことだった。小学生を 連れた品の良いお母さんがドンやってきて『子供が将棋を指したいというので良いです か?』とママさんに話していた。その後、休日に時々見かけるようになった。お母さん といつもやってきて、少年が将棋をしている間、お母さんはデパートや商店街で時間を 潰していたらしい。 ある時、マスターが私に『この子と指してみて』と言うので対局してみた。そのときの 印象は線が細いなぁ。でも、このまま将棋好きな少年でいて欲しい!だった。この後も 何度か対局したが、たぶん負けていないはず。そんな彼に、K石(大工の親方)さんら 筋悪連中が指そうとすると、マスターやトップクラスの連中が許さなかった。 訳を聞いてみると、『無筋の連中との対局は、手が荒れるからダメ!』とのことだった。 ひょっとして才能を見込んでいたのかなぁ? 数年前、伊奈祐介新四段が誕生した。三段リーグで次点2回フリークラス出発だった。 しかし彼は、難条件をクリアし晴れてフリークラスを脱出、順位戦参加権を確保し、 平成14年度は、5−5の指し分けとなった。 彼のプロフィールを見ると、高松の将棋クラブへ通い、その縁で小林八段門下となった そうである。ん?年齢からすると、あの少年かも?たしか、お父さんの転勤で高松へ来 たと言っていたなぁ。それなら、神奈川出身というのもうなずける。 ひょっとして、かつての少年が今の伊奈四段なら、 プロの四段に無敗! と言っていいのかなぁ・・・? |
石田和雄 九段 | ||
【将棋の日in出雲(2000.11)】で石田和雄九段に 二枚落ち の指導対局を受けることが出来た。 タイトル保持者、谷川、佐藤両九段の五人は三面指し、石田九段、先崎七段以下は五面 指し。まず、抽選会。希望者多数のため、くじを引き当たれば、封筒を1つ選び、その 中に指導していただける棋士名が書いてある。まず、くじは無事通過、後は封筒である。 谷川九段!と強く念じたが、名前は石田九段と書かれていた。 『嬉しさも中くらいなり・・・』(石田9段ゴメン) 石田九段は、『昨夜は二時まで飲んでいて、二日酔いと寝不足のダブルパンちなんだよ なぁ』とぼやきながら駒を並べていった。 二歩突っ切りのつもりで指し進めていたらなんと、45歩を突き遅れ△44歩と上手か ら止められ・・・。もう心の中は後悔で一杯・・・。仕方なくこの歩を目標にしようと 右四間に駒組を進めると逆に銀を繰り出され押さえ込まれそう・・・。 その後何とか盛り返し、勝たせていただき、『力強いですね。』のお言葉とともに二段 の免状申請書を頂きました。でも、申請してないんだなぁ・・・。 【将棋の日in出雲(2000.11)】 毎年、将棋の日に行われるイベント。2000.11は、島根県出雲市で開催された。たまたま 出雲市と松江市の中間辺りに単身赴任中だったのでその日を中心に帰宅(2〜3回/月) の日程を調整し見に行くことにした。 前夜祭の歓迎レセプション【ふれあいパーティー】から参加。丸山名人、藤井竜王、羽 生5冠、谷川9段、佐藤9段の他中井女流、高橋和女流等そうそうたるメンバーだった。 完全にミーハー状態で色紙にサインを一杯もらっちゃった。しかし会場を見渡すと、羽 生4冠を中心としたものと谷川9段を中心とした大きな固まりが二つ。さすがにお二人 の人気はすごい・・・。 会場には、【藤井猛竜王応援ページ】のHP管理人:はるひさん@女子高生(当時)も居 て少しお話出来ました。 翌日は午前中、サイン会と指導対局、午後から、公開対局(1分将棋トーナメントと次 の一手名人戦(丸山−羽生)の日程。 ここではハプニングが2つ。 一つは、リハーサルで1分将棋トーナメントの優勝者に副賞として送られる『張り子の虎』 を先崎八段が落として、少し壊れたらしく回りから先崎八段にかなりプレッシャーをか けられていたそうだ。しかし、彼は重圧に負けず見事優勝!さすがです。 もう1つは、次の一手名人戦に参加した神吉六段が残り三人に入り、次の問題で只ひと り正解!楽しいイベントをぶち壊してしまいました?会場大爆笑・・・。 対局者は神吉六段を間違えさそうと、また、神吉六段も早く不正解を出そうとしていた そうで、どちらもが裏目、裏目と出た結果のようだった。で、神吉六段の優勝辞退で収 まった。 |
内藤國雄 九段 | ||
2000.12 から倉吉で単身赴任生活を始めた。ある休みの日、時間をもてあましたので駅 前の焼鳥屋へふらっと入った。店内は客が一組居るだけでがらんとしていた。そこで焼鳥 を肴に一杯飲みながら将棋の本を見ていると、女将さんが一枚の色紙を出してくれた。 5 4 3 2 1 --------------+ ・ ・v銀v玉v桂|一 11手とヒント付き。 ・ ・ ・ ・ ・|二 ・ ・ 飛 ・ 香|三 ・ ・ ・ ・ ・|四 ・ ・ ・ ・ ・|五 持駒:銀 桂 歩 上図の詰め将棋と共に、内藤國雄 平成2年秋 とサインされていた。 この詰め将棋を肴に銚子一本余分に飲めちゃった。 |
蛸島彰子 女流五段 | ||
nifty fshogi最大のイベントである第10回湯河原オフが03.07.26〜27に杉の宿で開催さ れた。私も今回で5回目の参加となった。今回は久々に女流棋士をゲストとして蛸島彰子 女流五段の参加も。女性でただ一人奨励会初段までいった方である。(現在、関西の岩根 忍1級があと一歩ではあるが、年齢制限も近くかなり厳しいだろうなぁ。) 午後1時から大会開始。何という幸運か、1回戦で蛸島女流との組み合わせ、手合いは飛 香落以下とのこと。当然、飛香落ちで教えていただく。しかし、飛香落ちの定跡なんて全 く頭の中に残っていない・・・。で、飛車落ち定跡の45歩早仕掛けにした。香が無い分 どこかで角を使える展開になればラッキー程度だったが・・・。ところが、それが実現し てしまう。 上手の歩切れを良いことにゆっくりではあるが堅実な攻め筋を選び快勝することが出来た。 感想戦のあと、思いっきり『ヤッター!』と大声を出してしまった。抜け番で観戦してい た柿木さん(柿木将棋の作者)と蛸島女流が、『あの人は強いですからねぇ。』とか、 『手合い違いですよねぇ?』等と話していたのがちらっと聞こえた気がしなくもない・・・。 |
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