おん父のご意志をともに果たす

 

92  奉献によるこの証は、修道生活を特徴づける共同体的次元のゆえに、修道生活において特別な意味を帯びている。兄弟愛に満ちた生活は、そこで神の意志を識別し受け入れ、そして一つの思いと一つの心でともに歩む特権的な場なのである。愛に活気づけられた従順は、賜物と個性との多様性を尊重しつつ、修道会の会員たちを同じ証と同じ使命とにおいて一つに結ぶ。聖霊に鼓舞された共同生活のなかで、諸個人は、他の会員との実り豊かな対話に従事し、おん父のご意志を発見する。と同時にかれらは、会を統括する人のなかに、神の父性の表現と、識別と交わりに奉仕するために神から授けられた権威の行使とを認めるのである。

このように共同体における生活は、教会と社会との面前で 民族と出生、言語と文化との違いにもかかわらず 同じ召し出しと、その召し出しに従順でありたいという共通の願いとに由来する絆の独特のしるしとなっている。不和と分裂との精神に反して、権威と従順は、神を描き出す人たちの人間的限界にもかかわらず、神に由来する独一の父性のしるし、()霊から生れる兄弟性のしるし、そして神に信頼を置く人たちの内的自由のしるしででもあるかのように、煌いている。幾人かの人たちが自分たちの生活律にしているこの従順をとおして、「神のみ言葉を聞きそれを守る人たち」(Lk 11:28)にイエスが約束されたあの幸せが体験され、それがすべての人たちの善益のために宣言されるのである。さらに、従順を守っている人たちには、宣教使命に真に与っているという保証と、自分自身の願いや希望を追求するのではなく主に従っているという保証がある。このようにしてわたしたちは、わたしたちが主の霊によって導かれ、そしてかずかずの大きな困難のただなかにあっても、主の力強いみ手によって支えられている(cf. Acts 20:22-23)のを知ることができるのである。