従順における自由への挑戦

 

91  第三の挑戦は、自由というこの根本的で人間的な善を、それが有する真理と道徳的規範とへ本質的な関係から切り離す自由の諸観念に由来する。実際、自由の促進は、人間の人格の敬意と密接に結びついた真正な価値なのである。しかし自由の歪んだ行使が諸個人と諸国の民との生活に引き起こす暴力と不正との常軌を逸した結末を、誰が悟らないだろうか。

このような状況への効果的な応答は、奉献生活を特徴づける従順である。この従順は、おん父へのキリストの従順を特別に力強い仕方で再提出し、この神秘を従順の出発点としながら、従順と自由との間にはいかなる矛盾もないことを証する。事実、おん子の態度は、人間の自由の神秘をおん父のご意志への従順の小道として開示し、従順の神秘を真の自由の漸進的な獲得の小道として開示しているのである。まさしくこの神秘こそ、奉献生活を営む人たちが、この独特な誓願によって告知したいと願っているものなのである。かれらは従順によって、自分たちが神の子らであるという自覚を示すことを志す。その結果として、奉献生活を営む人たちは、おん父のご意志を自分たちの日々のパン(cf. Jn 4:34)、自分たちの巌、自分たちの喜び、自分たちの盾、自分たちの砦(cf. Ps18:2)と見なそうと願う。こうしてかれらは、自分たち自身に関する全き真理のなかで成長し、絶えず自分たちの生存の源に触れ、したがって次のようなもっとも慰めに満ちた使信を提供していることを、明らかに示すのである:「あなたの掟を愛する人には、大いなる平安がある。かれらはけっして躓かない」(Ps 118:165)