奉献生活が直面する主な挑戦

 

87 奉献生活の預言的任務は、教会それ自身に向けられている三つの主要な挑戦によって発動される:それらの挑戦は、常に変わらぬ挑戦であるが、現代社会によって、そして少なくとも世界のある地域で、新しくそしておそらくより根本的な仕方で呈示されている。これらの挑戦は、貞潔、清貧、従順という福音的勧告に直接的に関係し、教会をして、特に奉献生活を営む人たちをして、これらの勧告の深い人間学的な意味を明瞭にし証拠立てるように駆り立てている。福音的勧告に従う決断は、真に人間的な諸価値の低下を招くどころか、かえってそれらの諸価値の変容もたらす。福音的勧告は、性的欲求や、物質的財貨を所有したり自分の利益のために決断を下したりする適法な願望に内在する諸価値の否定と見なされるべきではない。これらの諸傾向は、本性に基づくかぎり、それ自体で善いものである。しかしながら、原罪によって弱められた人類は、道徳的諸規範を逸脱する仕方でそれらの諸傾向に従って行動する危険を冒す。貞潔、清貧、従順の宣立は、原罪による傷を過小評価しないようにとの警告であり、もろもろの被造的善の価値を断言しつつも、絶対善としての神を指し示すことによってそれらを相対化する。こうして、福音的勧告に従う人たちは、自分自身のために聖性を求める一方で、人類のためにいわば霊的「治療」を提出するのである。なぜならかれらは、被造物へのあらゆる偶像崇拝を斥け、生ける神を何らかの仕方で目に見えるようにしているからである。奉献生活は、特に困難な時代においては、人間生活と教会の生活にとって一つの祝福である。