殉教に至るまでの忠実さ

 

86 歴史の他の時期と同様に、今世紀においても、奉献生活を営む男女の人たちは、みずからの生命を賭して主キリストの証を行っている。奉献生活を営む数千人の人たちが、全体主義体制や暴力集団の迫害によってカタコンベへ行くことを余儀なくされた。あるいはかれらは、宣教活動や貧しい人たちのための活動、病気の人たちや社会の片隅に押し遣られた人たちの救援活動に従事している最中に脅迫を受けた;それでもかれらは、長引くそして英雄的な苦しみのなかで自分たちの奉献を生き抜いてきたし、また生き続けている。しかもかれらが、みずからの血を流すことによって、十字架に付けられた主と完全に同じ姿になる(configured)ことも稀ではなかった。教会は既に、これらの男女の幾人かの聖性を公式に認め、かれらをキリストのための殉教者として敬っている。かれらは、かれらの模範によってわたしたちを啓発している;かれらは、わたしたちが信仰深く忠実になるようにと執り成し、栄光のうちにわたしたちを待っているのである。

かくもたくさんいる信仰の証人たちの記念は、かれらをたたえかれらを模倣する招きとして、教会の意識のなかに残っているべきだとする、広く行き渡った要望がある。奉献生活の会と使徒的生活の会は、二十世紀の殉教録に記録されるに値するすべての奉献生活者の氏名を集め、かれらに関する証言録を編纂することによって、この努力に貢献することができる。