新たな福音化

 

81 現代の歴史が新たな福音化に対して提出するかずかずの大きな挑戦に首尾よく対応しなければならないとすると、先ず第一に必要とされるのは、啓示されたみ言葉と時のしるしとによって、挑戦に対して常に開かれた奉献生活である。男女を問わず、みずからが深く福音化された偉大な福音宣教者たちの記憶は、今日の世界に対面するには、主と主の福音とに親愛に献身した人々を持つことが必要であるということを示している。「奉献生活を営む人たちは、かれらの独特な召命のゆえに、自分自身の福音化と証との一致、内的刷新と使徒的熱意との一致、存在することと行うこととの一致を明示し、躍動感は常にこれらの組み合わせの最初の要素から生れることを示すように呼びかけられているのである」。

新たな福音化は、あらゆる時代の福音化と同様に、それが主との親密な交わりのなかで一足先に生きてきたものが何であるかを高らかに宣言するとき、効果的なものとなる。それは、聖人のように気高い熱意に鼓舞された強力な人物を求めている。新たな福音化は、奉献生活を営む人たちがわたしたちの時代のかずかずの挑戦に含まれる神学的意味の徹底した自覚を持つように要求する。これらの挑戦は、宣教使命を刷新するための注意深い共同の識別によって考量されねばならない。主イエスを宣言する勇気は、摂理への信頼を伴っていなければならない。摂理は、世界のなかで働きながら、「教会のより大きな善益のために、人間的な違いをも含めてすべてのものを秩序づけているのである」。

修道会が新たな福音化において役割を首尾よく果たすことができるための重要な要素は、会を創設したカリスマへの忠実さ、教会のなかで同じ企てに携わるすべての人々との交わり、取り分け司教との交わり、そして善意あるすべての人々との協力である。これらはいずれも、大きな直接的進展がまったく予見できない地域においてであれ、有望な再生が見込まれる地域においてであれ、聖霊が各修道会に与える呼びかけの注意深い識別を必要としている。奉献生活を営む人たちは、あらゆる場所と状況のなかで、イエス・キリストの熱烈な伝令者となり、人間の心に抱かれたかずかずの不安と切迫した必要とによって今日提出されている諸問題に、福音の知恵をもって進んで答える用意をしておくべきである。