童貞者たちの修道会;隠世修道女と男女の未亡人

 使徒の時代からキリスト教共同体に知られてきた乙女たちの古代修道会の新たな開花をわたしたちの時代に証言することは、喜びと希望の源である。これらの女性たちは、教区司教によって奉献されて教会との独特な絆を獲得し、この世のなかに留まりながら教会の奉仕に取り組んでいる。かのじょらは、単独であるいは他の人たちとの連携のもと、天の花嫁と来るべき生活との特別な終末論的似姿を構成する。教会は、この来るべき代において、花婿たるキリストへの愛に最終的に完全に生きるであろう。

古代修道会あるいは新しい修道会に所属する、あるいは司教に直接従属する隠世修道者の男女の人たちは、世俗からの自分たちの内的あるいは外的な分離によって、現世の過ぎ去りゆく本性を証している。かれらは断食と贖罪とによって、人がパンだけで生きるのではなく、神のみ言葉によって(cf.Mt 4:4)生きる者であることを示す。このような「砂漠のなかでの」生活は、かれらの同時代の人たちと教会共同体それ自体とに対して、絶えず主とともにいるという最高の召命を決して見失わないようにという招きになっている。

また今日でも、男性のやもめの奉献と並んで、使徒の時代から知られる(cf. 1 Tim 5:5,9-10; 1 Cor 7:8)女性のやもめの奉献が実践されている。これらの男女は、神の国のしるしとしての終生の貞潔の誓願によって、自分たちの生活を奉献し、祈りと教会の奉仕活動とに献身しているのである。