養成責任者の仕事

 

66 おん父なる神は、ご自身にみずからを奉献する人たちにとって、キリストと()霊との絶えざる賜物をとおして、卓越した教育者となる。しかしこの業のためにおん父なる神は、人間的な諸手段を使い、より成熟した兄弟姉妹をご自分が召した者たちの傍らに置く。したがって養成は、おん子の内的な態度を()霊をとおして若い男女の心のなかに形成するおん父の業への参加である。それゆえ、養成を任された人たちは、神を求める小道に大いに通暁し、この旅路を歩む他の人たちに同行できるようにならなければならない。

恵みの働きに敏感になれば、養成担当者たちは、あまり判然としない諸障害を指摘することもできるようになるだろう。しかし養成担当者たちは先ず何よりも、キリストに従うことの美しさと、キリストに従うことに伴うカリスマの価値とを明らかにしなければならない。養成担当者たちは、召し出しを識別し、新しい男女を養成し、かれらを本当に自由にさせる際の一助となり得る人間的諸手段が放つ光に、霊的知恵の照明を結びつけなければならない。養成の主要な手段は、個人的対話である。これは、推奨すべき掛け替えのない効果をもつ実践であり、定期的にかつ一定の頻度をもって行われるべきものである。

(養成には)取り扱いに慎重を要する諸課題が含まれているだけに、全教会との交わりの精神の内に自分たちの任務を遂行することになる適切な養成指導者たちの訓練は、非常に重要である。養成責任者たちの訓練のための適切な諸施設を、できればかれらの司牧的な奉仕がやがて実行されることになる地域の文化に、かれらが接触できるような場所に設置するのは有益だろう。養成の仕事においては、しっかりと設立された修道会が、その最善の会員の幾人かを派遣することによって、新設修道会を助けるべきである。