分裂した不正な世界での兄弟愛

 

51 教会は、奉献生活を営む共同体に、先ずかれらの内的生活において、次に教会的交わりのなかで、そしてその教会的交わりの境界を越えて、特に今日のように世界が民族的憎しみや無意味な暴力によって引き裂かれているときに、愛のうちに対話を開き、あるいは対話を継続させることによって、交わりの霊性を広めるという独特の任務を委ねている。世界のさまざまな社会  情念と利害の攻めぎ合いによってしばしば特徴づけられ、一致を探し求めてはいるものの、その達成の仕方に関して不確かなさまざまの社会  のなかに置かれた奉献生活を営む共同体は、まさにそこに異なった年齢と言語そして文化を担う人たちが兄弟姉妹として一堂に会するがゆえに、対話は常に可能であるということのしるしであり、交わりが相違を調和に導くということのしるしなのである。

奉献生活を営む男女の人たちは、自分たちの生活の証によって、キリスト教的兄弟愛の価値と、善い報せ(the Good News)の持つ変容させる力とを宣言するために遣わされている。福音のこの変容させる力は、すべての人々を神の息子らそして娘らとして見ることを可能にし、あらゆる人々に向かう自己譲渡の愛、特にわたしたちの兄弟姉妹のなかでもっとも小さな人々に向かう自己譲渡の愛を鼓吹する。そのような共同体は、希望の場であり、至福を発見する場なのである。そこにおいては、交わりの源泉である祈りから力を得た愛が、生活の手本となり喜びの源となるように求められている。

諸問題の地球的規模の拡大と民族主義の偶像の再来とによって特徴づけられる時代にあっては、国際的修道会は特に、民族間、人種間そして文化間の交わりの感覚を支持し証するように求められている。兄弟愛に満ちた雰囲気のなかでは、諸問題の地球的広がりに心を開くことは、特殊な賜物の持つ豊かを損なうことにはならないし、特殊な賜物を主張することが他の賜物や一致それ自体と衝突することにもならない。国際的修道会は、このことを効果的に達成できる。なぜなら国際的修道会は、各会の独自性を保ちながら、創造的な仕方で文化内在化の挑戦に正面から取り組まなければならないからである。