奉献生活の多様な形態における(聖)霊の業

 どうしてわたしたちは、()霊への感謝のうちに、()霊が歴史の至るところで育て上げ、そして今日でも教会のなかに実在する奉献生活の多くの多様な形態を思い起こさないであろうか。それらは、たくさんの枝を張りながら福音のなかに根を下ろし、教会生活のそれぞれの季節に豊かな実りをもたらす一本の植物に喩えられよう。何という並外れた豊かさであることか! わたくし自身、シノドスの終わりに、教会の歴史に存在するこの恒常的な要素を強調する必要を禁じ得なかった:わたくしは、修道会の男女の創設者たちの軍団、福音に徹底的に従うことによって、そして自分たちの兄弟姉妹、特に貧しい人たちと見捨てられた人たちとに奉仕することによってキリストに従うことを選んだ聖なる男女の軍勢を強調せざるを得ないのである。このような奉仕はそれ自体、奉献生活がいかにして、愛の掟の有機的統一を、神への愛と隣人への愛との間に結ばれた分かたれざる絆のうちに表明するかを示すしるしとなっている。

シノドスは、あらゆる時代に多様なカリスマをとおして、福音的勧告の実践の持つ豊かさを示す聖霊の、この絶えざる働きを思い起こした。またこのようにして聖霊は、キリストの神秘を、教会と世界とに、時間と空間とのうちに、絶えず現前させているのである。