奉献生活と部分教会

 

48 さらに、ある意味深い役割が、奉献生活を営む人たちによって部分教会のなかで演じられている。交わりおよび神秘としての教会に関する公会議の教え、ならびに、「キリストの唯一にして聖なる使徒継承の普遍の教会が真に現存し働いている」部分教会を神の民の分け前と見なす公会議の教えとに基づいて、奉献生活のこの側面が組織的に探求され、公会議後のさまざまな文書のなかに成文化された。これらの文書は、教区の司牧生活の有機的な発展のために、奉献生活を営む人たちと司教との協力が基本的な重要性を持っていることを明らかにしている。奉献生活のカリスマは、部分教会における愛徳の育成に大いに貢献し得るのである。

事実、福音的勧告を生きるさまざまな道は、修道会の男女の創設者たちによって受け取られた数々の霊的賜物の表現であり実りである。そういうものとして、それらの道は、「(聖)霊の体験を構成する。この体験は、創設者の弟子たちに伝えられ、絶えず成長するキリストの体との調和のうちにかれらによって生きられ、護られ、深められ、絶えず発展させられる」。各修道会の自己同一性は、客観的な構成要素によって特徴づけられる特有の伝統のなかに姿を現す独特な霊性と使徒職とに密接な関係がある。このようなわけで教会は、諸修道会がそれらの男女の創設者たちの精神とそれら自身の健全な伝統とに従って成長し発展するように願い、気遣っている。

したがって各会は、独自の規律に従うこと、そして独自の霊的で使徒的な遺産を無傷に保つことを可能にする正当な自治権を持つものとして認められている。この自治権を維持し保護することは、在地の裁治権者の責任である。こうして司教は、奉献生活のカリスマを歓迎し尊重し、教区の司牧計画のなかでそれらのカリスマに適当な場を与えるように求められている。司教たちは、在地司教による特別な配慮に委ねられている教区立の修道会に格別の関心を持つべきである。奉献生活を欠いた教区は、多くの霊的賜物や人々が神を求めるための適切な場所、独特の使徒的活動や司牧的取り組みを奪われるだけではない。大多数の修道会に特徴的な宣教精神の甚大な衰退という危険を招くであろう。したがって、()霊が部分教会のなかに喚起した奉献生活の賜物を寛大にそして感謝の念をもって受け入れることによって、その賜物に応える義務が存するのである。